産経新聞社

ゆうゆうLife

(123)男同士の旅で妻離れ

 女3人で旅をした。

 姉とめいとの1年に1度のイベントである。

 新緑の美しい山中をめいの運転する車で走り抜け、美術館とおいしいものと温泉とおしゃべりの信州3泊4日の旅。

 独り暮らしの私は、旅といえばいつも1人だけれど、気心の知れた女同士で行く旅もまた楽しい。

 なにしろ、あそこに行きたい、あれを食べたい、これを買いたいが、見事に一致する。

 宿泊先でも、女はそれぞれが自立自助なので、誰からも「お茶をいれてくれ!」も「○○はどこだ?」もないのもいい。

 連れの2人は、「夫あり」の身なので、旅に出るにあたっては、冷蔵庫に3日分の食事を用意するなど、それなりの「家を空ける準備」があったらしい。その分、旅に出た解放感もひとしおの様子だった。

 でも、一緒に行きたそうだった定年後の夫に留守番をさせてきた姉には、「ちょっと、悪かったかなあ」の気持ちもちらほら。

 結婚しているということは、なかなかに気の遣うことらしい。

 なにしろ、平日の旅の途上で見掛けるのは、熟年の夫婦ばかり。あっちを見ても、こっちを見ても…。夫婦二人旅は、いまや定年後の夫婦の定番なのだ。

 ところが、そんな中、衝撃的な光景を目撃した。

 なんと、熟年の男同士の旅。

 ちょうど60歳前後、定年後らしき世代の男たちが3人とか、4人とか。ラフな格好で、ふらふらと、和気あいあいと連れだっているではないか。

 旅の途上で、そんなグループをなんと3組も見てしまった。

 農協関係風でもないし、仕事の同僚風でもない。信州だから、蕎麦(そば)を食べに来た蕎麦打ち仲間かもしれない。元同級生の親交を暖める仲間かもしれない。

 ともあれ、である。

 それは、定年後の夫たちが、女同士の旅の気楽さと同様に、男同士の旅の気楽さに目覚めて、「妻離れ」を始めていることを感じさせる光景だった。

 またひとつ、変わりつつある時代の姿を垣間見た気のした旅であった。(ノンフィクションライター 久田恵)

(2009/06/25)