山道を歩いていたら、不意に近道を行きたい衝動に駆られた。
こっちだろうなあと思う方向に向かって、雑草の生い茂った獣道に踏み込んだ。
最初はよかったものの、途中からずぶずぶなぬかるみに足をとられた。それでも、なぜかそのまま突き進んでしまって、ついに泥まみれ。にっちもさっちもいかなくなってしまった。
愚かなことをした、と思った。
なんで、途中で引き返さなかったのかと思った。
そんな体験をした直後に、「身内の犯行」という新書判のルポを読んだ。親や子や妻や夫をあやめてしまったここ十年ほどの家庭内犯罪の経緯が書かれたもので、家族内関係のありようについて、いろいろと考えさせられてしまった。
事件が報道されたときは、なぜ?と不可解に感じ、特殊な人の起こしたあり得ない事件よねえ、と思っていたけれど、実はそうでもないのだ。
経緯を知れば、人の為(な)すとんでもないことの背後には必ず、わけがあるのだと思いしらされる。
しかも、どの人も、思い詰めた末に思わぬ道に踏み込み、そのまま突き進み、引き返すべきときに引き返せなくなった結果が、事件なのだ。
まずい、と思ったら逃げる。
やばい、と思ったら引き返す。
夫とか、親とか、子供とか、たとえ身内でも、自分を苦痛にする関係からは、世間になんと言われようと逃げるが勝ち。
狭い家族内での過剰な忍耐は人の心の内圧を高め、判断力を失わせ、人生を過つ元凶だわ、と思った次第だ。
特に、ああ〜っ、と吐息が漏れたのは、あの渋谷の「セレブ妻」による「夫バラバラ事件」。夫の暴力で顔面を青アザだらけにして実家に戻り、「離婚したい」という娘を、親はしかりつけ、夫の元に帰している。
母親も「ひどい目に遭った分、慰謝料を取りなさい」なんてアドバイスをしちゃったらしい。
せっかく引き返してきたのに、さらに獣道を行け、と娘を追い立ててしまったのだ。
こんなふうに、たいていの事件というものは、そこにいたるまでには、回避できるチャンスはいくつもあったのに、それがなされないままに起きている。
なんと人生とは、怖いものだろう。何事においても、しゃにむに行かずに、引き返す勇気だけは持たねばならない、そう自戒した私だった。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2009/07/09)