産経新聞社

ゆうゆうLife

(127)つかず離れずの友

 ある人が、ぽつり、と言った。

 「親友」と呼べる人が、自分には一人もいないのが、すごーく寂しい、と。

 えっ、親友?

 意表をつかれて、いささかとまどった。

 相手が、思春期の女性ならいざ知らず。彼女はれっきとした中高年。夫も子供も、孫さえいる。さらに、友人、知人もそこそこにはいる様子。

 そんな彼女が、特別な友、「親友」を求めているのだ。

 それって、ちょっとぜいたくすぎないか?と思ったのだけれど、ひょっとして求められているのは、この私か? あっ、だめだめ、誰かの「親友」になるなんて、そんな重い役、いまさら、絶対、自信ない…。

 気持ちが、あたふたしていたら、「それで、いますか?」だって。

 そう、親友が、である。

 来た、来た、と思いつつ、そういう人はいない、と答えたら、彼女が、なあんだ、そうか、というような、ほっとした顔になった。

 それが、なんだかおかしかった。

 一見、いつも楽しそうに見える(ほんとは、そうではないのですが)私にも、親友なんてもんがいないのなら、ま、自分にもいなくていいか、と思ったらしい。

 よかった、よかった。

 やっぱりね、年齢とともに、他人にあまり濃密な関係を求めないようにするのが、いいと思う。

 友人にしても、つかず離れずで自然にしていて、時々、この人には、こういう意外なところがあるんだあ、という一期一会的な出会いを繰り返し、気が付いたら、いつの間にか気の置けない間柄になっていたわねえ、というのが一番いい。

 自分の寂しさを紛らすために、あえて個別な友達を求めたりすると、そこに固定関係が生じて、がんじがらめになりやすい。

 気が付いたら、なにかにつけ命令されたり、指示されたりされる立場になっていて、息苦しいとか。または、一方的な愚痴の聞き役、自慢の聞き役になってしまって、つらい、なんてことになりがちなのだ。

 そう、意外や意外。

 聞けば、友達関係のごたごたで悩む中高年女性が、最近、多いらしいのだ。

 夫とか子供とか、簡単に切れない関係は他にいろいろある。

 友達ぐらいは、いてもいなくてもいいや、の心持ちで、あっさり付き合えばいいのになあ、と思う私である。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2009/07/23)