産経新聞社

ゆうゆうLife

(129)遊びをせんとや生まれけむ

 酷暑の中、歌ったり、踊ったりの人形劇(パペレッタ)の練習をしていて、熱中症になった。

 怒涛(どとう)の汗をかき、水分補給が追いつかなかったみたい。

 こういうことをやっていると、自分の年齢を忘れる。仕事も立場もそれに伴うトラブルも、いろんなことが忘却のかなた。

 いわば、天真爛漫(らんまん)状態。

 この「一時の自己解放」の効用は、私にはかけがえがない。

 結婚もしたし、離婚もしたし、子供を育てたし、仕事もしたし、介護もしたし、私なりに人生の涙の谷を越えてきたし、今は、「こういうことをやらずにはいられないのよ」という感じ。

 そう、人は「遊びをせんとや生まれけむ」と言うけれど、人生の中に「遊ぶ」がないと、生きていることの充実が得られないのかもしれない。

 パペレッタをやっていると、しみじみ、世間には似たもの同士というものがいるなあ、と思う。5年もやっていると、いつの間にか感性の似た人たちが集まってくる。

 この人たち、性格はまちまち。仕事も忙しい。それぞれなりの波瀾(はらん)万丈を生きている。けれど、こういうことが好き、の一点で、世代や仕事や男女の立場の枠を超えて、共にテンション高く、遊びに興じている。

 今年は、あの「はてしない物語」の作者で有名なミヒャエル・エンデの絵本「ゆめくい小人」を脚色した作品をやっている。

 この夏、地域の子育て支援のグループと老人ホームから出演依頼を受けて、出前公演をするため練習中なのだ。

 「遊び」と言えども、人に見てもらうには、自分たちのこの表現を通して、共に生きているというエールの交換をしたい。いろいろあるけれど、人生は、やっぱりすごく楽しいよね、というメッセージを送り届けたいとも思う。

 そんなわけで、頑張らねばならないわ、との思い高じて、疲労困憊(こんぱい)の末の熱中症なのだ。

 やっぱり、「私って、なにやってんだか…」としか言いようがないのだけれど、人というものは、結局は大変なことでなければ、楽しくもないということなのだろう。いや、それほどにも、「自己解放」を求めている私なのかしら、とも思う。

 先日、参加を求めて見学に来た女性が、「いやあ、とても私にはこんなことは…」と言って帰っていった。なんだかね、この方は、これまでの人生がきっと平穏でシアワセだったのね、という気がしたのだった。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2009/08/06)