猩紅(しょうこう)熱というのは、こわーい病気だと思っていた。
米国の小説「若草物語」では、三女のベスが猩紅熱で生死をさまよう。高熱にうなされ、寝床で好きなピアノを弾くかのように指を動かし、うわごとを言うシーンに、小学生の私は、ベスが死んでしまうと身を震わせた。
「赤毛のアン」や「大草原の小さな家」のシリーズにも、それらしい病気が登場し、ヒロインは危機にさらされたり、くぐり抜けたりする。
しかし、私が猩紅熱に抱くイメージは最近、すっかり崩れてしまった。猩紅熱の原因は溶連菌。抗生物質の普及で、今や重症化は珍しいと知ったからだ。
きっかけは、二男(3つ)が2度も溶連菌感染症と診断されたこと。10日間も抗生剤を飲むのが大変だが、発熱は初日だけで、数日で日常生活に戻った。医学の進歩はすばらしい。
そんな話をしていたら、同僚が「猩紅熱は、いわば日本の結核ですね」という。読者の年齢層が違うせいかもしれないが、確かに、猩紅熱と聞くと、欧米のきゃしゃな美少女を思い浮かべ、結核と聞くと、日本の文学青年を思い浮かべる。どちらにしても、文学には、人知でどうしようもないことや、はかなさが不可欠ということだろう。
しかし、結核も、抗生物質、ストレプトマイシンの発見で、すっかり「死」のイメージがなくなった。
結核療養所を舞台に、小説「風立ちぬ」を書いた堀辰雄は自身、結核だった。論文「結核の文学史序説」(福田眞人名古屋大学教授)によると、ストレプトマイシン登場を聞いた堀辰雄は「いったい僕から結核菌を取り除いたら何が残るんだい」と問うたという。
病のイメージは、時代によって変わる。不治の病がなくなるのは、人類には幸いだが、文学にとってはどうだろうか。(ゆうゆうLife編集長 佐藤好美)
(2007/05/18)