産経新聞社

ゆうゆうLife

ニッポンの「お父さん」

 赤羽みちえさんのお父さんの葬儀に出かけた。昨日掲載の漫画は25日に葬儀の席で手渡されたものだ。赤羽さんは事前に「みなさんに愛されていた父なので、原稿は描きます」とおっしゃってくれたが、葬儀の朝にかけて描いたのだろうかと、胸が熱くなった。

 突然のことだった。漫画では、掃除はしない、面倒だから電話には出ない、夕方4時に「水戸黄門」を見ながら晩酌する悠々たる自由人の様子が伝えられたばかり。赤羽さんが「私の家で一緒にご飯を食べよう」と誘っても、「いや、わしゃ1人がいい」と言っていたという。

 見つかったときには、死後2日がたっていた。炊飯器には、夕食のご飯が炊け、ふと出かけたような様子。葬儀で赤羽さんのお兄さんは「出無精だった父がひょいと、死んだ母に会いに行った感じでした」と、あいさつした。

 妻が元気なうちは任せきり。しかし、1人になっても、子供には頼らない。そんな赤羽さんのお父さんに、自身の父を映す読者も多かった。

 私も、「うちの父とおなじだ」と思って読んだ回がある。学生時代の赤羽さんを、お父さんが東京に訪れる。父と娘の時間は、母と娘の時間と違ってぎこちない。父が帰った日、赤羽さんがアパートに帰ると、机の上に小遣いが置いてある。

 私も学生時代、仕事で上京した父と食事をした。会話には詰まりがちで、帰った後、いったい、あれで楽しかったのかと首をひねった。東京へ遊びに来た叔母が、父から言付かったと小遣いを置いていったこともある。父親は多くを語らず、愛情表現は不器用だ。

 棺(ひつぎ)には、発売になったばかりの単行本『のんびりいこうよ』(扶桑社)が納められた。以前、赤羽さんは「父の生活を余さず書いてしまったので、とっても見せられない」と話していた。今ごろ、お母さんと2人、楽しんで読んでいるだろうか。(ゆうゆうLife編集長 佐藤好美)

(2008/02/29)