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本田美奈子.さん急逝から1年(上)

 □プロデューサー、高杉敬二さんに聞く

 ■日増しに高まる評価 飛躍を目前にして、思わぬ白血病の宣告

 歌手の本田美奈子.さん(享年38)が昨年11月6日、白血病で亡くなって、1年が過ぎました。挑戦を忘れず、柔らかく伸びやかな歌声で生きる意味を訴えてきた本田さんに、今も共感の輪が広がっています。デビュー当時から活動を支えてきた所属事務所「ビーエム・アイ」のエグゼクティブ・プロデューサー、高杉敬二さんに、本田さんの思い出を聞きました。(中川真)

 美奈子は高校1年のとき、原宿でスカウトされて、8月に私どもの所にやってきました。真っ黒に日焼けし、目がくりんくりんとして、とにかく目立つ子でした。

 彼女は演歌歌手になりたかったんです。だから、オーディションに持ってきた曲は「天城越え」「北の宿から」。こちらは「少女隊」というグループの1人を探しており、「そうじゃなくてポップスなんですよ」と説明したら、「はーい、それでもいいでーす」ってね。

 翌週また来てもらいました。今度は「ラヴ・イズ・オーバー」。すごく大人っぽい歌を感情豊かに歌うんです。ポップスも上手だし、「少女隊じゃなくて、単独でやらせよう」ということになったんです。

 翌年4月にデビュー。アイドル歌手として順調に成長しました。デビュー8カ月後の武道館コンサートは超満杯。これまでのアーティストでは、「最短距離」でしたね。印象的だったのは、当時から「一生、歌い続けたいから、よろしくお願いします」って言っていたことでしょうか。

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 転機は、やはりミュージカル。「ミス・サイゴン」のキム役を取るために、一般の方に交じって7回もオーディションを受けました。1万2000人の中から白羽の矢が立ったのは、歌のうまさに加えて、非常に東洋的な印象を与えたからだったと思います。

 美奈子は私を「ボス」と呼ぶんですが、このとき「ボス、お願いですから1年間、仕事を休ませてください。真っ白な状態から、色を少しずつ付けていって、キムになってみたいんです」と言ってきたんです。私も「1年間じっくり勉強するのも悪くないな」と考え、了解しました。

 とはいえ、本人はすごく悩んだようです。

 「アイドルだから、受かったんじゃないか」

 「すぐつぶれるわよ」

 「1年間も画面から消えて大丈夫なの」…。

 いろんな雑音も聞こえてきますからね。

 でも、大切なのは周囲を気にせず、疑心暗鬼にならないこと。私は「一生歌っていくんだろ。それなら、今が最高の時間じゃないか」って話しました。

 美奈子はミュージカルで人間としても歌手としても、すごく成長しました。ソロと違い、みんなでひとつのものを作っていきますから。1年半の公演中、毎日歌い続け、評価は日に日に上がっていきました。

 その後も「レ・ミゼラブル」など、数々の舞台に出ました。ミュージカルのせりふはすべて歌。常に感情表現をしなければならない。こうした積み重ねで、遠い所からだんだん近づいてくるような独自の歌唱法を、作り出したんだと思います。私たちは「天使の声」と言ってますが、ほかに形容できませんね。

 ボイストレーニングで何オクターブも高い声が出るようになり、「ネオクラシック」に挑戦しようという構想が出てきました。200年、300年前のクラシックの名曲に、岩谷時子さんらの日本語の詞をつけ、将来に伝えていこうという取り組みです。「絶対にやりたいっ」と美奈子も乗ってきました。

 平成15年、1枚目「アヴェ・マリア」が完成したとき、目標を定めました。2枚、3枚とアルバムを出し、4枚目は日本の愛唱歌、5枚目は美空ひばりさんの楽曲をオーケストラの伴奏で歌う。それを持って、ニューヨークの「カーネギー・ホール」に行くぞと。

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 しかし、3枚目「アメイジング・グレイス」を作っていた昨年1月、美奈子は病気で倒れてしまうんです。

 「ちょっと疲れたな」というのが発端でした。1月10日でした。偶然、人間ドックの予定があったので、先に採血をしました。誰も深刻に考えていなかったんですが、翌日、先生からの「緊急入院を要します」という電話で事態が一変しました。

 12日に美奈子、ご家族、私で聞いた検査結果は「あなたは骨髄性白血病、つまり、血液のがんです」という宣告でした。200万人に1人しかいない抗体の白血病ということでした。

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【プロフィル】本田美奈子.

 昭和42年、東京生まれ。60年、デビュー。「Oneway Generation」「1986年のマリリン」などの曲で人気に。ミュージカルや「ネオ・クラシック」でファンを魅了したが、昨年1月、急性骨髄性白血病で緊急入院。同年11月6日に死去。今月6日、長くお蔵入りになっていたポップスの録音が、1カ月遅れの追悼盤「優しい世界」として発売された。

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【プロフィル】高杉敬二

 昭和15年、大連生まれ。音楽プロデューサー。杏里、松本伊代などのタレントを育てる。本田美奈子.の遺志を継ぎ、骨髄バンクを支援する「LIVE FOR LIFE」の活動を展開している。

(2006/12/07)

 
 
 
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