■助産師と医師ー歩み寄りの努力
■「助産科」で連携模索
分娩(ぶんべん)場所の確保のため、国が注目しているのが、病院内に助産所を設ける「院内助産所」。お産の質を高め、同時に安全を確保できるのが利点です。しかし、医師と助産師の連携には黄信号がともっています。スムーズな連携に努力するケースを見ると、医師の意識改革と助産師の能力向上がカギのようです。(北村理)
「3人目を産んで、初めて、心おきなくお産というものを実感できたような気がします」
神戸市在住の女性(42)は、同市垂水区の佐野病院でほぼ10年ぶりのお産を迎え、女の子を産んだ。
佐野病院は総合病院だが、正常なお産の場合、助産師が分娩介助をする「助産科」を10年前に設け、「院内助産所」の先駆けとして知られる。
女性は上の2人を病院で産んだ。今回も「助産科というのは何か知らず、40歳すぎてのお産なので、病院だから安心かなと思って」来たら、病院から、助産師コースと医師コースの分娩があると知らされた。
女性は「自然な分娩とはどんなものか、体験したかったので、助産科を選択した。(分娩台に固定されない、助産師が介助するフリースタイルの分娩は)自分の好きなように産ませてくれるので、産んだという実感があった」という。
それまで出産した病院では、「母乳介助を受けた記憶がない。母乳が出ないし、母乳を飲ませても、赤ちゃんの体重は減っていくし、非常に不安だったのを覚えている」。今回は、助産師に丁寧な母乳介助を受け、「不安はなかった。スムーズに育児に入れそうな気がする」と、満足そうだ。
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佐野病院は今年、分娩場所をほかの病棟と切り離した「ばーすセンター」を設置した。センター長の三浦徹医師は「お産は病気とは違う。だから、可能な限り医師による医療介入はしないという病院としての意思表示だ」という。
助産科には看護師はおらず、20人の助産師と5人の医師が勤務する。特定の助産師が特定の妊産婦に常時、寄り添ってお産介助ができるよう、助産師を交代制勤務からはずした。妊産婦は妊娠初期から出産まで、気心の知れた助産師にサポートしてもらえるわけだ。
助産科は20年前、三浦医師と一部の助産師が発案した。当時のことを、三浦医師は「患者にがん治療の選択肢を説明していて、妊産婦にはお産の選択肢がなく、有無をいわさず分娩台に乗せられるのはおかしいと気づいた」と振り返る。
助産科が実現するまでの10年間、「助産師による分娩は危険だ、という医師の意識改革が非常に重要だった」と三浦医師は言う。
助産科での分娩は現在までに計922件。取扱件数は年々、増加したが、異常が生じて帝王切開に移行する率は反比例して低下し、一昨年はゼロとなった。
「妊産婦に長く寄り添っていれば、医療介入しなくても異常は分かる。寄り添いのノウハウをもち、実行できるのは、医師でもなく、看護師でもなく、助産師だ」
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三浦医師は一方で、「助産師も、判断力をつけ、医師とコミュニケーションがとれるスキルアップが必要だ」と強調する。
東京の立川市にあるファウンズ産婦人科病院では、土屋清志院長や同病院の職員と、都内で開業する助産師の38%にあたる17人が、毎月勉強会を開催している。
先月15日に行われた勉強会では、助産所から同病院へ搬送した妊産婦の例について、搬送した助産師と、病院側が経過と背景を説明。その後、助産師らが病院への搬送のあり方を討論した。
討論は主に、助産所と病院の助産師の間で行われた。最後に土屋院長が「助産所で出産を希望する妊産婦には、必ず病院で健診を受けさせてください。また、助産所と病院の連携をスムーズにし、助産所の安全性を示すため、分娩経過の記録のしかたを研究しましょう」と提案した。
土屋院長は「妊産婦のケアは、助産師のもつ独特の能力だ。それだけに、助産師側もオープンでないところがあり、医師や看護師に理解できていないところがある。その壁をお互い、乗り越えると、連携は可能。まず、乗り越えるための機会をつくる必要がある」と指摘する。
佐野病院の三浦医師は「お産の主役は妊産婦とその家族。助産師が介助し、医師がバックアップする。そうした役割分担を明確にすると、医師も異常産に集中でき、負担も減少する」と、院内助産所の意義を強調している。
(2007/04/03)