産経新聞社

ゆうゆうLife

納得は得られるか−動き出す医療版ADR(中)

日本医療機能評価機構で行われたメディエーション講座。互いを患者役(奥)、医師役(手前)、メディエーター役に見立てたロールプレイを取り入れている


 ■見直される初期対応 感情受け止める場を

 医療事故の被害者が訴訟に持ち込む理由の一つに病院の初期対応の悪さがあります。最近は、病院側が初期対応を見直しています。医療事故などが起きた場合、患者側と話し合う場を作り、紛争解決につなげる「院内ADR」の態勢を整える病院も出てきました。(佐久間修志)

 医療事故で、1歳半のまな娘、笑美ちゃんを失った神奈川県平塚市の接骨院経営、菅俣弘道さん(40)が、病院を訴えなかった理由は、「病院の謝罪があったから」だ。

 平成12年4月、胃食道逆流症を起こし、東海大学付属病院(伊勢原市)に入院していた笑美ちゃんは、看護師の点滴ミスが原因で息を引き取った。

 病院は菅俣さんに謝罪。小児科の教授は「明らかに自分たちが原因」と涙を流した。葬儀には病院から数十人が焼香に訪れ、後の法事にも院長ら幹部が足を運んだ。

 笑美ちゃんが亡くなった後、ひっそりと静まりかえった自宅の居間。好きで壁に張っていた詩が改めて、菅俣さんの目に留まった。

 どうぞ神様、この子のためにすばらしい両親をさがしてあげてください

 神様のために特別な任務をひきうけてくれるような両親を

 神様は、子供を受け止めてくれる両親を選び、両親も子供を通じて使命を知るという内容だ。「笑美の死を意味あるものにしたい」という気持ちが芽生えた。

 菅俣さんは、医療事故被害者の集まりに参加し、本を読みあさった。その結果、病院側の真摯(しんし)な対応が得られず、訴訟で苦しむ被害者が多いことを知った。「東海大病院の対応は評価せざるを得ない。この事故は『きちんと謝罪した病院は訴えられない』というモデルケースとして後世に残せる」。心は決まった。

 事故から7年。菅俣さんは当時の院長と肩を並べ、医療事故関連の講演に参加する。講演では医師らにこう語る。「最初は誰だって病院を許せない。でも、時間がたち、冷静になったとき、初めの謝罪はきっと生きる」

 最近、右目の治療に迷わず同病院を選んだ菅俣さん。「今は他の病院よりも信頼している」

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 市民団体「医療事故市民オンブズマンメディオ」が医療事故被害者(家族を含む)に実施した調査によると、「医療事故後に病院から十分な謝罪があった」というケースはわずか3%。「事故自体よりもその後の対応が許せなかった」という回答も7割を超えた。

 「医療版ADRを整備しても、初期対応がまずければ、患者側はADRを迂回(うかい)して弁護士や警察に駆け込む」。早稲田大学大学院法務研究科の和田仁孝教授は解説する。

 和田教授が勧めるのが、医療側と患者側の対話の橋渡しをする「メディエーター」を活用した院内ADRだ。「医師は医学用語を交えて淡々と説明する傾向があり、患者さん側の誤解を招きやすい。仲介役が必要」

 日本医療機能評価機構(東京都千代田区)の認定病院患者安全推進協議会はメディエーション講座を定期的に行う。今年度は2日間の「基礎編」を8回実施。16〜19年度で医師や看護師ら約400人が履修予定だ。

 講師の中西淑美大阪大学特任講師は「遺族が何を望んでいるかをメディエーターが把握し、その悲嘆を乗り越えられるような協働を医療者側に考えてもらうようにできれば、紛争解決の糸口になり得る」と話す。

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 メディエーターを活用した院内ADRを17年から整備している大阪府豊中市の市立豊中病院。今年1月までに、申し立て53件のうち、約半数の26件のメディエーションを行い、21件で和解した。

 メディエーターを務めるのは、医療安全管理室の水摩明美室長。メディエーションでは医師側も事情が十分説明できるように配慮する。同時に、説明が不十分と感じれば、病院側に強く説明を迫ることも。

 「かけがえのない命や健康を失った悲しみ。その患者さん側の感情を受け止める。そんな姿勢が、患者さん側を冷静、前向きにしていく」

 水摩さんを通じ、病院と関係を改善させた患者や家族は少なくない。

 今年5月に入院中の義父を亡くした大阪府吹田市の川上美里さん(43)=仮名=は、水摩さんの呼びかけで8月に話し合いの場をもった。

 「私たちの気持ちをきちんと医師に伝え、医師の説明を聞けた。水摩さんに感謝しています」。病院は家族にインフォームドコンセントの不足を謝罪。再発防止を約束してくれた。

 メディエーション後、「医療に一石を投じたのなら、お父さんの死も無駄にならないのかなと家族で話しました」という。

 「今でも、まだ家族が完全に納得したとはいえない」という川上さんだが、いつか、家族の気持ちが落ち着いたとき、あの話し合いが立ち直るターニングポイントだったと思えるのでは。そんな気がしている。

(2007/12/18)