産経新聞社

ゆうゆうLife

リビング・ウィル 終末期をどう生きるか(中)

母親の看取りを振り返る加藤千代さん(右)と白十字訪問看護ステーションの秋山正子所長=東京都新宿区


 □意思確認

 ■必要な偏りない情報提供

 さまざまな慢性疾患を抱える高齢期の患者の死期を予測するのは困難です。いざというときに備え、患者本人の意思確認は重要ですが、それを実現するには、医療者が患者や家族に偏りのない情報を提供し、家族も終末期についてよく理解することが必要です。(北村理)

 「延命のための点滴をやめたのは、やはり自然な最後を望んだ本人の意思を尊重したからでした」

 東京都内に住む加藤千代さん(73)は昨年10月、母親のたみさん(95)を自宅で看取った。

 たみさんは8月、脱水症状から衰弱し、意識がなくなった。「病院はいや」と言っていたたみさんの意向をくんで、加藤さんが在宅看護を開始。当初、「あと1週間」と言われていたたみさんだったが、点滴や訪問看護が始まると危機は脱した。

 その後2カ月、一進一退を繰り返す間、家族、医師、訪問看護師らは毎日のように点滴を続けるかどうかを話し合った。患者と20年のつきあいという医師は、点滴に効果が見られたため使用継続を主張。訪問看護側は体にむくみが出ていたことなどから、「これ以上、負担をかけるべきではない」と、中止を提案した。

 一般的に余命1カ月程度とされる段階で点滴を続けると、全身にむくみが出て肌が張り、痛みや呼吸困難、腹水・胸水の増加で苦痛をもたらすこともある。看取りの経験豊富なある在宅医は「最後は家族に説明し、点滴は控える。本人がのどの渇きなどを訴えるようなら、最低限の点滴は行うこともある」という。点滴を外すかどうかは、患者や家族がどんな看取り方を望むかにかかっている。

 加藤さんは最終的に医師、訪問看護師と三者で面談して点滴を中止。たみさんはその9日後に亡くなった。加藤さんは「妹から『お母さんは最後は自然にという話をしていた』と聞かされたことが、心を整理するきっかけとなった」と振り返る。

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 母親の看取りに「満足だった」という加藤さんだが、担当した白十字訪問看護ステーションの看護師、宮崎晶子さんは「医師と意見の相違はあったが、看取る家族の意思統一ができていたので、折り合いはつけやすかった」という。

 とはいえ、患者の状態には波があり、加藤さんも判断には迷った。「自然に死ぬということがどういうことか分からなかったし、点滴を続けると、体にどんな影響があるかも知らなかった」と打ち明ける。

 看護師の宮崎さんは、医師が訪問するタイミングに合わせて訪問して情報を共有し、家族と話し合う努力を心がけた。

 加藤さんが最終的に、患者本人が望んでいた結果に心が向いたのは、「医師や看護師さんらと時間をかけて話すなかで、看取るとはどういうことか、理解を深めていったからだと思う」という。

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 名古屋大学大学院医学系研究科の平川仁尚医師(老年科学)は「患者は終末期について深い理解があるわけではない。医師は治療を優先する傾向にあり、家族は医師の主張に左右されやすい。そうなると、患者本人の意向は実現されにくい」と、患者、家族、医療者の三者が意思統一する難しさを指摘する。

 特に、かかわる医療者の影響は大きい。平川医師らのグループは終末期ケアについて意思確認書を取っている療養病床で入院患者70人について調査した。

 調査の結果、患者に携わる5人の医師のうち、ある1人から説明を受けた患者と家族で心肺蘇(そ)生(せい)の希望が突出して多かったという。この施設では終末期ケアについての説明項目は決まっているが、説明の仕方には統一指針がない。平川医師は「医師の経験や人生観が、患者、家族の選択に影響したのではないか」と分析する。

 平川医師が所属する名古屋大学付属病院では、心肺蘇生や人工呼吸の方法や利点と欠点を併記した説明書を配布している。それぞれの担当医の意向が影響しないように、との配慮からだ。患者の希望があれば、意思確認書も作る。

 平川医師は「終末期の判断は誰しも揺れる。終末期がどういうものであるか、患者や家族がよく理解し、判断するためには、説明方法を標準化する医療側の努力が必要だ」と指摘している。

(2008/06/11)