産経新聞社

ゆうゆうLife

リビング・ウィル 終末期をどう生きるか(下)

満足死の宣言文に署名した市野さん(左)と網野医師


 □満足死

 ■「後期」になったら一考を

 死に方を自分で決めるのは難しいことですが、実際に死に方を宣言し、実行する人もいます。自分のため、家族のためと動機はさまざまですが、在宅ケアの専門家らは年齢や要介護の度合いを見ながら、最後をどこでどう過ごしたいか考えてみては、と提案します。(北村理)

 東京都内に住む市野省三さん(78)は「満足死(終末期医療)の宣言書」を所持している。いざというときは、苦痛を和らげてもらい、無駄な延命治療はせずに逝くつもりだ。

 旧労働省の職員だった市野さんは退庁後、大学教員になったが、平成9年に「満足死の会」の東京支部(代表世話人、網野皓之医師)に入会。それを機に教職からも退いた。今は畑を借りて農作業をしたり、講演をしたりの生活だ。「やはり、最後まで元気に過ごしたい。そのために、残りの人生をいかに生きるかを考え、暮らしを変えたんです」という。

 宣言書には、(1)不治の病の終末期における延命処置の拒否(2)苦痛の緩和処置への要望と、それによる死期の早まりの受容(3)生命維持装置をはずす場合は「医師2人以上の診断と家族の同意が必要」が盛り込まれている。

 この宣言書は、終末期の意思確認で知られる日本尊厳死協会(本部・東京)の「尊厳死宣告書」(リビング・ウィル)などがベース。異なるのは、尊厳死協会の宣告書が植物状態に陥った際の対応として「生命維持装置の取りやめ」を挙げているのに対して、満足死の会は「医師2人以上の診断と家族の同意が必要」と条件を加えたこと。

 看取りの場では、家族が患者の意思を代弁することも多い。しかし、本人が望んだ看取りが、家族につらいものになれば、意義も半減する。網野医師は「日本の看取りの場では、家族の意向も大きい。本人だけでなく、看取る家族の満足も考えなければいけない」と、指摘する。

                  ◇

 「満足死の会」は平成5年、高知県佐賀町の公立診療所で地域医療に携わった疋田善平(ひきた・よしひら)医師が高齢患者らと設立した。疋田医師は「家庭が病室」とうたい、高齢者の在宅ケアを進め、寝たきり高齢者をほぼゼロ、在宅死亡率を8割にするなどの成果を挙げた。

 東京支部の網野医師は「現代医療は救命行為が過度に進み、病院任せでは満足する死が迎えられないことがある。自分がどう死にたいか、主張してもいいんですよ、という運動です」と解説する。

 網野医師は13年前、長野県から都内の診療所に移り、外来や在宅医療を行う。長野県でも、在宅医療に携わったが、「長野に行く前は勤務医だった。現代医療の信奉者で、治療すれば病気は治ると思っていたが、高齢者は寿命に逆らえないと思い知らされた。以来、治療前にまず、患者がどう毎日を過ごしたいのか、そのために、看護や介護する者に、何ができるかを探るようになった」という。

 もちろん、必要なら専門医も紹介する。「東京では、長野に比べ、高度医療が求められがち。核家族が多く、家庭の介護力が低い。身近に病院や専門医も多いことも、背景にあるんでしょう」と分析する。

 そんな東京でも、自分の望む死を求める人は、自然な死を実現している。網野医師の患者で、85歳の男性は「満足死の会」会員で宣言書も準備していた。肝臓がんと分かり、網野医師が病院受診を勧めたが、在宅で痛みの処置を求めたのみ。入院せず、自宅で息を引き取ったという。

                 ◇

 死に方について、希望を明確にすることが重要だと分かっていても、何を選択し、いつ表明するかは難しい。

 何を選択すべきかについて、名古屋大学(老年科学)の平川仁尚医師は「自宅で死ぬか、施設および病院で死ぬか」を挙げる。どちらを選ぶかで、死に方は大きく異なるからだ。網野医師も「死はどちらにいても、思いのままにならないもの。だとすれば、自由度の大きい自宅と、そうでない施設および病院の差はある」と同意する。

 意思表示のタイミングについて、新宿ヒロクリニックの英(はなぶさ)裕雄院長は「在宅ケアをしてきた経験でいうと、要介護3が意思表示が明確にできるリミットと考える」という。

 日本尊厳死協会理事長の井形昭弘・名古屋学芸大学長は「元気であっても、後期高齢者になったら人生の終末期と考え、最後をどう過ごすか、考えても良いのではないか」と話している。

                   ◇

 ■満足死の会事務局 高知県四万十町、くぼかわ病院内TEL0880・22・1111

(2008/06/12)