産経新聞社

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痛みを我慢しない(上) 緩和医療と精神的支援

 ■「生活の質」向上のため研修

 増加するがん患者のため、国は昨年、「がん対策推進基本計画」を策定し、がんによる痛みの軽減を含む緩和ケアの必要性を指摘、人材の育成を進めています。そんな中、がんの痛みを苦にした殺人事件が起きました。がんの痛みを和らげ、暮らしを全うすることは、まだまだ難しいのでしょうか。(北村理)

 「がんの痛みに苦しむ夫を、これ以上、見ていられなかった…」

 先月9日、山梨県内で妻(72)が末期がんの夫(73)を絞殺する事件が起きた。地元警察によると、妻は殺害の理由を、こう供述したという。

 夫は昨年末、がん診療連携拠点病院で、末期の前立腺がんで余命1年と告知された。その後は自宅から病院に通い、抗がん剤などの治療を受けていた。

 前立腺がんは進行が遅いうえ、骨に転移しやすく、痛みが伴うため、「痛みのコントロールが療養生活のかぎになる」(がん治療医)。

 しかし、寺の住職であった男性は、足を引きずりながらも、葬式に行っていたという。地元警察も「相当、痛みを我慢していたようだ」と話す。

 警察によると、告知を受けた時から、妻はショックで精神的にふさぎ込み、鬱病(うつびょう)の治療を受けていたという。檀家(だんか)の一人は「今から思えば、奥さんは疲れていた様子だったし、住職も足をひきずっていたが、末期のがんだとはまったく気づかなかった」と話す。夫婦で不安を抱え込んでいたようだ。

 山梨県内のホスピスでボランティアをする男性(60)は自らもがん手術後に適切なケアを受けられず、「七転八倒の苦しみを経験した」という。事件について、「痛みのケアや精神的な支援を受けさえすれば、避け得たと思う。医療者は積極的に支援に介入してほしい。患者は受け身になりがち。ましてや亡くなられた男性のように、住職という立場では、気軽に誰かに相談するのは難しかっただろう」と話した。

 日本人の死亡原因の1位であるがん患者は、7年後には現在の300万人から540万人まで増えると予想され、日本の医療行政に大きな影響を与えると考えられている。

 国は昨年6月制定した「がん対策推進基本計画」で、がんの死亡者減とともに、「すべてのがん患者およびその家族の苦痛の軽減並びに療養生活の質の向上」を全体目標とした。

 こうした環境整備の中核となるのが、緩和ケアに携わる医師や看護師ら。

 しかし、現状は、がんによる死亡者が年間30万人に上るのに対し、例えば、痛みの管理ができるペインクリニック学会専門医は1500人。がんの痛みをコントロールできる医療機関は全国で200あまりだ。

 世界保健機関の国際標準では、がん患者の痛みのうち、90%の痛みは取り除くことができる。しかし、厚生労働省の研究班の調査では、日本のがん診療連携拠点病院では約65%、大学病院では約50%にとどまっている。

 このため、国は「5年以内に、がん診療にかかわる医師に対し緩和ケア研修を行う」として、昨年から全国で研修を始めた。しかし、研修の指導役となる医師らは「座学で教えても、実際に実行する医師は少ない」と指摘する。

 今回事件のあった山梨県で、県内初のホスピス「玉穂ふれあい診療所」を立ち上げた土地(どち)邦彦医師は「医療用麻薬の投与を始めても、患者によって効果は千差万別で、効果を逐一、聞き取る努力が必要とされる」と指摘する。患者から生活状態を聞き出す信頼関係も必要で、一朝一夕に養成するのは難しいとの立場だ。同ホスピスの看護師長、長田牧江さんは「基本的な知識も必要だが、日々の経験のなかで、ノウハウを獲得しているのが実情」と指摘する。

 事件後、山梨県庁が開催したがん対策の検討会では、緩和ケアを受けられる場所と患者をどうつなぐかの必要性が、今後の課題として挙がったという。

 土地医師は「患者の生活の質まで気を配れる医療者は確かに多くはない。しかし、それができる場所はある。そうした場所に、患者を確実につなげることは現状でも可能だ」と指摘する。

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 ≪医師の意識改革必要≫

 がんの痛みをなくす運動を展開する団体「JPAP」副代表世話人、小川節郎・駿河台日大病院長 「医療技術が進み、多くの苦痛は取り除くことが可能になった。ただ、日本の医療は病を治療することが主流だったため、医療者の意識改革が求められる。多くの関係者の指摘で、来年の医師国家試験から終末期ケアや緩和医療が出題されることになり、一歩前進したと考えている」

(2008/08/27)