産経新聞社

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痛みを我慢しない(下)抱え込まずに早期治療

痛みの治療のため、患者の生活状況を聞く井関雅子医師(右)=東京都文京区


 ■経済的効果指摘する声も

 痛みは、第三者が共有できない難しさがあり、治療がしにくい側面もあります。しかし、放置すると、日常生活にも影響します。痛みの専門家らは「早期に取り組めば、悪影響を最小限に抑えることができる」と指摘します。(北村理)

 「また痛むのかと思うと怖くて。ここで治療を受け始める前は、家で動くのもおっくうで、ついつい横になることが多くなっていました」

 都内に住む70歳代の女性は、脊椎狭窄(せきついきょうさく)などで以前から傷めていた足腰の痛みが今年春先に悪化した。ここ1年間、夫の介護に精を出し、「自分のことより夫のこと」と、痛みを我慢するうちに、「痛みで夜中も目が覚めるようになってしまった」という。

 今年6月、女性は知人の紹介で、順天堂大学のペインクリニックを訪れ、井関雅子医師の治療を受け始めた。井関医師は家事などを楽にできることを目指して、神経ブロックを施し、鎮痛剤を処方した。

 神経ブロックは痛みに関係する神経をさぐり、麻酔薬などを注入し、脳への痛みの伝達を遮断する治療で、進行がんの患者なども対象になる。

 「数カ月でなんとか身の回りのことはできるようになりました」と報告する女性に、井関医師は「次は、1人で外出できるようになることを目標にがんばりましょう」と声をかけた。女性はひとつ目標を達成できたことに自信を取り戻したかのように、にっこり笑った。

 痛みが日常的になれば、体が痛みを覚え、体を動かすことをためらう。体を動かさなければ、体力は衰え、女性のように精神的にも落ち込んでしまう。

 この悪循環を断ち切るため、井関医師は「まず痛みを抑え、一歩一歩、目標を具体的に立て、生活を取り戻すという良い循環に変える。慢性的な痛みは生活と密接なかかわりをもつため、治療には一定の時間がかかる。痛みを抱え込まないで早く治療を開始すれば、回復も早くなる」と話している。

 7、8割の患者が痛みを訴える進行がんでも、ほぼ9割の痛みは取ることが可能だといわれる。ただ、実際に痛みの治療は行き渡っていないのが現実。痛みの治療の難しさについて、井関医師は「血圧、脈拍、呼吸、体温などは数値化でき、第三者である医者にも判断しやすいが、痛みは数値化できない」という。

 このため、患者自身が医師に伝える必要がある。しかし、「日本では、痛みは我慢するものという考えがあり、それが、治療を難しくしている」と井関医師は指摘する。

 痛みを取り除く麻薬などへの誤解も依然、根強い。厚生労働省の研究班「緩和ケアプログラムによる地域介入研究」(主任研究者・江口研二帝京大学医学部教授)が山形、千葉、静岡、長崎の4地域で一般市民約4000人から得た調査結果によると、医療用麻薬に対して持っているイメージは「たいていの痛みをやわらげることができる」が地域により60〜70%に上る一方で、「麻薬中毒になったり禁断症状が出る」も20〜30%、「寿命をちぢめる」も約20〜30%に上った。

 実際には、痛みを我慢する悪影響は大きい。痛みがあれば、日常生活は困難になり、持続すると、精神的に落ち込み、睡眠障害など、鬱(うつ)状態に陥ることも多い。日大医学部麻酔科の小川節郎教授は「痛みを解消できないがん患者では、3割弱が鬱状態になる。ひどい場合には、患者の自殺にいたるケースもある。痛みが深刻だと、日常生活はもとより、治療への意欲すら失ってしまう。逆に、痛みがコントロールされると、鬱状態も改善するケースが多い」と早期の治療を求める。

 痛みのケアによる経済的効果を指摘する声もある。末期がんの患者でも、痛みを抑える費用は平均、1カ月1万5000円(3割負担で5000円)程度とされる。愛知医科大学痛み学講座の熊沢孝朗教授は「痛みが慢性化すると、入院が長引いたり、多くの診療科をはしごするなどで医療費もかかる。仕事を失えば、社会的な損失も大きい。米国では、適切な痛みの治療を行えば、個人の医療費は58%が削減されるという調査もある」と指摘したうえで、「痛みは、解決できる問題だから、患者や医療者の意識改革も含め社会的に取り組むべき問題だ」と話している。

(2008/08/29)