■連携し要望を実現
最後まで自宅で暮らし続けたいと願っても、在宅介護の環境はまだまだ不十分です。最終回は、要介護5で難病の母親を抱える家族と、支える事業所の連携をお伝えします。介護度の重い利用者は敬遠されがちですが、事業所の「支えよう」という気概と、ケアの技術が、在宅介護を支えます。(永栄朋子)
「見て。母がお昼にこのお菓子を食べられたのよ。ゴックンって」
マスカットのお菓子を手に、神奈川県藤沢市の主婦、富崎一恵さん(56)は目を輝かせる。富崎さんの母、牟田口春子さん(78)は70歳まで週3日ジャズダンスを踊る快活な人だった。
だが、平成12年に難病の「脊髄(せきずい)変性症」を発症した。今は鼻に挿したチューブで栄養を取り、気管切開もしている。要介護度は5。意識は鮮明だが、声は失った。去年の春には、医師から「あと1カ月(の命)」といわれたこともある。
そんな最重度の母を、富崎さんは自宅で介護する。「入院するたびにひどくなる」と思うからだ。排便がコントロールできないため、入院すると、体重が20キロ以下になってしまう。体温調節もできないので、すぐに発熱する。自宅なら一恵さんがぬるめのシャワーで熱を下げるが、病院ではできない。
医師は症状が重すぎると、家に連れ帰ることに反対した。だが、富崎さんは「ただ生かしておくのは嫌。倒れるまでみたら、納得がいくと思った」と話す。
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とはいえ、次から次へと新たな問題が起こる。特に、気管切開は大きな山場だった。器材交換が必要だが、かかりつけの往診医に「引き受けられない」と断られたのだ。
しかし、「どうしても在宅で」と思う富崎さんに代わって、母のケアマネジャーで、デイサービスやヘルパー派遣をするNPO法人「ぐる−ぷ藤」の理事長、鷲尾公子さんが走り回った。入院先の病院に「緊急時は引き受ける」と約束を取りつけて、かかりつけ医を説得してくれたのだ。
最低限の基盤は整ったものの、牟田口さんの介護度が重いため、「ぐる−ぷ藤」の介護ヘルパーの不安も大きかった。富崎さんが「大丈夫」と言っても、ヘルパーらは、けがをさせることを怖がる。それが介護される牟田口さんにも伝わり、お互いにストレスになった。
鷲尾さんと富崎さんは相談して、訪問介護を2人体制にし、1人を看護師、もう1人に毎回異なるヘルパーを配置した。熟練した看護師と組み合わせることで、ヘルパーの不安を軽減し、技術アップを図った。牟田口さんのケースを、ヘルパーらの、いわば実践学習の場としたのだ。
ヘルパーの交代は、要介護者や家族にはストレスだ。しかし、富崎さんはあえて“モデル”を引き受けた。「日本一のヘルパーさんになってほしいし、技術のあるヘルパーさんが大勢いた方がありがたい」という。
重度者が敬遠されがちなのは、ヘルパーに十分な技術がなかったり、けがのリスクがあったりするからだ。富崎さんのケースは、利用者の強い要望に応えて、事業所と利用者が協力してスキルアップを図った例といえそうだ。
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7年間の在宅生活で、鷲尾さんが1番心配したのは、富崎さんの心のケアだ。富崎さんに自覚はないが、鷲尾さんは「こんなに頑張ったら、危ない」と心配したことが一時あったという。
鷲尾さんはボランティアをカウンセラーとして手配し、後に「ぐるーぷ藤」が提供する介護保険外のサービス(1時間1200円)で賄った。
鷲尾さんは「介護保険の主眼は本人ですが、私たちは家族の支援も同じように大切だと思います」という。こうしたサービスが提供できるのは、介護保険外のサービス部門をもっているから。「草むしりも可能だし、泊まりで介護に入って、家族に小旅行に出かけてもらうこともできます」(鷲尾さん)
利用者のさまざまなニーズに、すべて介護保険では対応できない。介護保険には必須のサービスしかないからだ。しかし、長丁場の介護には、“クッション”もいる。自費のサービス部門を整えれば、利用者負担はかかっても、解決する問題も多い。「このサービスで解決できることが多いから、相談にものれるし、ニーズもくめる」と鷲尾さんはいう。
同志社大学の上野谷加代子教授は「重度者の介護で事業所に必要なのは、『支えよう』という気概と、気概を裏打ちする専門技術。トップの気概を、スタッフが共有できることが大切で、在宅介護は気概と専門性がそろえば豊かになっていく」と話す。
牟田口さんは今も表情で思いを伝える。「医学も進歩してるから、頑張ろうね。お母さんの仕事は、一生懸命生きることよ」との娘の呼びかけに、牟田口さんはかすかにうなずく。=おわり
(2007/05/25)