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【ゆうゆうLife】家族がいてもいなくても(21)介護後遺症 

 講演の帰り、見知らぬ人に声を掛けられて、お茶を飲んだりする。

 と言ってもナンパではありませぬ。たいていは、会場のどこかで話を聴いてくれた女性。

 あれやこれやの私の体験談が、人に親近感を与え、「実は私もね、こうだったのよー」と、言ってしまいたくなるのかもしれない。

 その1番多いケースが、実は「介護体験」なのである。

 しかも、終わったばかりの、まだ生々しい体験。夫や親戚(しんせき)には、言えなかった介護中のつらさ、悔しさ、自責の念などなど。いずれの体験もドラマチックで、いろんな思いをかきたてられる。

 そんな中、先日の彼女は途中で泣き出してしまい、その傷ついた心にどう寄り添えばいいのか、私は立ち往生してしまった。

 「しようがないってわかっていたんです。でも、毎日、毎日、殺す気かあ、って言われ続けると、言い返したり、意地の悪いことをしちゃったりして。それで、自分が駄目な人間と思って、立ち上がれないというか。でも、夫はこういう気持ちは分かってくれなくて、介護も手伝ってくれなくて、それを思い出すと悔しくなって、もう離婚するしかないと…」

 私は、これをひそかに「介護後遺症」と呼んでいる。この症状はなまなかではないのである。

 「介護」と言うと、オムツ交換とか食事介助とかを思い浮かべる。むろん、そのケアも大変ではあるのだけれど、一番つらいのは、介護をめぐる精神的な葛藤(かっとう)のように思う。

 そもそも、他者のケアを延々続けることは、自我を抑えて暮らすこと。相手に愛情を持っていても、いや、持っていればいるほど、介護をつらいとか、嫌だとか感じる自分に罪悪感を覚えてしまう。

 しかも、感情が激して心ないことを口走ることもあるわけで、介護を通して、見たくない自分、優しくない自分を知ってしまったりする。これがつらい。それは、時に、心を病むほどにも、である。

 でも、人は、何もせずにいれば、いくらでも優しく、いい人でいられる。自分がいい人だと思っていられるのは、何もしないからだと思った方がいい。

 「優しくなかった自分に傷つくのは、あなたが優しいからじゃないのかしら」

 その日、冷めたコーヒーを前に、見知らぬ私の前で、気が緩んだみたいに涙をこぼし続ける彼女の話を聞き、長い介護の末に母を亡くし、パニックを起こした自分のことを思い出していたのだった。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2007/06/01)

 

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