■早期退職し認知症ケア
早期退職したサラリーマンが、セカンドライフの仕事に選んだのは介護でした。第2回は、認知症専門のデイサービス「デイホーム四季の家」を自宅で立ち上げた湯浅洋雄さん(63)。日常生活の延長線上のような場で、お年寄り一人一人の症状に合わせたケアを心がけています。(寺田理恵)
「デイホーム四季の家」の午後3時は、おやつの時間。ダイニングルームでケーキを食べながら昔話に興じる老婦人たちは、姿勢も身だしなみも整っている。本当に徘徊(はいかい)のひどい人なのか、見た目では判別できない。
しかし、「四季の家」は大型施設にうまくなじめない認知症のお年寄りが対象。ホーム長の湯浅さんは「大きな施設でショートステイを何度繰り返しても慣れず、認知症がひどくなってから来て、ここを自分の家だと思っている人もいます」と話す。
認知症の主な症状の1つに、時間や場所などが正しく認識できなくなる見当識(けんとうしき)障害がある。お年寄りの仮想現実に話を合わせて、行動を落ち着かせるのも重要なケアだという。
「認知症ケアには、言葉かけが重要。若い人の力も必要ですが、年齢が近い方がよい場合もある。社会経験が豊富なら、過去の記憶を引き出す話題を提供できる。釣りや囲碁、マージャンなど、男性同士だと通じやすい話題もある」と湯浅さん。
「湯島の白梅」「有楽町で逢いましょう」など、お年寄りたちは湯浅さんのギターに合わせて若かった時代の流行歌も歌う。
取材の日、利用者6人に対しスタッフは8人。「認知症の症状の現れ方は千変万化。個別対応が必要です」と、人員配置は手厚い。それでも介護報酬だけで運営できるのは、事業化の際に自宅改修をトイレの増設など最小限にし、湯浅さんが「千葉県の最低賃金(時間額687円)並みの額」(湯浅さん)で働いているから。年金暮らしだからできることだ。一方、スタッフには「大型施設に負けない賃金」を払っているという。
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湯浅さんは東京・大手町で20年以上、サラリーマン生活を送った。仕事人間だったが、昭和50年にがんを発病。後遺症で毎年入院するようになり、平成8年に53歳で早期退職した。1年ほど休んで再就職する予定だったが、機会を逃し、「自分で何かできないか」と考えたのが始まり。
家で過ごす時間が長くなると、認知症の父親の世話に妻が苦労している様子が見えてきた。自分でも、父親のために手すりや歩行器などの用具を工夫した。11年に父親が亡くなると、介護福祉士の資格を取得。実習先で認知症のお年寄りが人として扱われていない現実を知り、認知症ケアを志した。その後、認知症高齢者のグループホームでボランティアとして経験を積み、15年に自宅1階で「四季の家」をオープンした。
スタッフにはケアマネジャー、介護福祉士、ヘルパーのほか一級建築士の福祉住環境コーディネーターも。妻もヘルパーと介護食士(全国調理職業訓練協会の認定資格)を取得して協力してくれる。今年は、湯浅さんとスタッフが日本認知症ケア学会の「認知症ケア専門士」認定試験を受験し、1次試験をパス。7月の2次に合格すれば、専門士は3人になる。
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閑静な住宅街にある普通の一戸建ての「四季の家」は、一般家庭と変わらない雰囲気が特徴。
しかし、庭や室内には、伝い歩きがしやすいよう工夫された家具や木製手すりが配置されている。人手が多いので、玄関には鍵をかけない。車いす対応車両もスロープもなく、寝たきりのお年寄りでも、抱きかかえて普通の乗用車で送迎する。こだわっているのは、設備よりも認知症ケアの質だ。
ところが、サービスの質などを評価する「福祉サービス第三者評価」や「介護サービス情報の公表」制度の訪問調査では、車いす対応車両がないとマイナス評価につながるという。
認知症高齢者は27年に全国で250万人と推計される。急増が予測されているのに、ケアの技術をもつ人材育成が追いつかないのが現状だ。徘徊や暴言などで、介護者がつらい思いをしているケースは多い。
しかし、利用者側は認知症対応型よりも、利用料が低い通常のデイサービスを選びがちだ。「なぜ、こんなに症状が悪化するまで連れてこなかったのだろうと思うことがあります。認知症に関する知識を、若いうちに知ってもらった方がいい」と湯浅さんは話している。
(2007/06/26)