産経新聞社

ゆうゆうLife

介護職のチカラ(上)やんだ徘徊

 ■観察力で意欲を導く

 介護職を「お年寄りのおむつを替える人」「料理や掃除をする人」と思っていませんか。病気の治療と違い、介護職に何ができるかは、体験した人でなければ分かりにくいもの。しかし、プロの介護職はお年寄りの生きる力を引き出し、介護家族をも救うものです。介護の専門性とは何かを考えます。(寺田理恵)

 認知症のお年寄りに徘徊(はいかい)や暴力などの症状が出ると、家族は片時も目を離せなくなる。

 千葉市に住む中山純代さん(86)=仮名=も徘徊を繰り返し、家族を悩ませた。ところが、デイサービスに通い始めたとたん、自宅でも徘徊がピタリとやんだ。

 「地獄に仏とは、このこと。職員のみなさんのおかげです」。夫の清さん(92)=仮名=が涙ぐむ。清さんは昨年7月から純代さんといっしょに週2回、特別養護老人ホーム「小倉町いずみ苑」(千葉市)のデイに通う。

 この日のレクリエーションはバスケットゲーム。純代さんは得点の計算係。「20+10+10+10+20は?」と、デイ担当の木村加奈主任が問うと、純代さんは暗算で「70!」と答える。

 純代さんは、かつて夫婦で菓子問屋を営み、暗算が得意だった。今は認知症の症状が進み、「昔取った杵柄(きねづか)」とはいかない。しばしば「やらない」と背を向ける純代さんを、職員がやる気にさせる。

 木村さんが「私は暗算ができない」とおどけながら電卓をたたくと、純代さんが得点ボードに向かう。暗算の結果が電卓と一致し、木村さんが感心する態度をとる。純代さんはまんざらでもなさそう。

 「幼稚なことをして、喜んでいるんです」と、はにかむ純代さんは認知症には見えない。ほかの利用者の車椅子(いす)を押したり、来客に椅子をすすめたりと、しきりに動き回る。

 純代さんと夫の清さんは、一昨年から娘夫婦と同居した。純代さんに認知症の兆候が見られたためだ。その後、認知症が進み、徘徊を繰り返すようになった。そのたびに家族が探し回った。住所も電話番号も言えず、パトカーで送られて帰ったこともあった。

 清さんは「あのつらさは、当事者でないと分かりません。医師には『歩けなくなるまで徘徊はおさまらない』といわれました。『絞め殺したろか』と思ったこともありました。娘婿が優しいから、いっしょに暮らせたのです」と振り返る。

 今では純代さんは、デイに行く日を楽しみに過ごす。症状は少しずつ進行しているが、問題行動がやんだおかげで、家族にも余裕が生まれた。

 清さんは「介護のプロというのは、たいへんなもの。(介護を苦にした殺人のような)悲劇が生まれないように、私たちの体験を、みなさんに知ってほしい」と話す。

 デイでは、木村さんと葛西知子さんの職員2人が「利用者にとって目新しく、自宅でできないこと」を企画する。例えば、ケーキやパン作りだ。日ごろ閉じこもりがちなお年寄りのために、ナスやピーマンの栽培、バスでの遠出など外出の機会も作る。

 木村さんは「特別なことは、していません。笑顔を引き出すことを心がけています」というが、純代さんに計算係を務めてもらうのは、暗算が得意だったのを把握しているからだ。「もともと主婦だから、お茶をいれようとしたり、湯飲みを洗ったり、家庭でしていたことを、ここでもしようとされます」と木村さん。尾崎誠明(ともあき)施設長も「じっとしていられないのは、働き者だったからだと思います」とみる。

 純代さんはデイで過ごす間、商売も家事も切り盛りしたころの自分でいられるようだ。

 一口に「介護の専門性」といっても、考え方は介護職の間でも人それぞれ。介助の技術を重視する人もいれば、やる気を引き出すことに専門性を見いだす人もいる。

 元江戸川区のホームヘルパーで、訪問介護アドバイザーとして活動する櫻井和代さんは「いかに本人の心に働きかけ、自立する意欲を引き出すか。本人の希望や思いを、観察によってつかめるか。それには幅広い知識が必要です。認知症だからと『本人が希望を言えない』で済ませるようでは、プロとしてまだまだ」とみる。

 認知症でも、耳になじんだ家族の声を聞き取り、表情が変わるときがある。その表情から本人の希望を読み取る。認知症の知識があれば、認知機能の障害と、それがもとになって起こる徘徊や興奮などの問題行動を区別して対応できる。手先を使うのが好きな人は、シーツを破くなどの問題行動を起こすが、それに代わる手作業ができる環境を整えれば落ち着く。

 櫻井さんは「利用者の希望に沿っていれば、生活を変えていくことができる」と話している。

(2008/01/09)