産経新聞社

ゆうゆうLife

お年寄りを孤立させない(上)

エレベーターのない5階建てが続く西三田団地。階段の上り下りがつらくなった高齢者が孤立する=川崎市多摩区


「三田ふれあいセンター」で開かれた昼食会。ボランティアらも加わり、会話が弾む


 □介護保険を補う街づくり

 ■小学校区単位の福祉活動

 高齢者の孤独死が問題になっています。深刻化するお年寄りの孤立は、介護保険だけでは防げません。住民同士や公的機関が顔を合わせる場をつくることで、孤立を解消する活動が各地で行われています。川崎市多摩区で介護保険事業を運営するNPO「コスモスの家」は、エレベーターのない団地住まいの高齢者も住み続けられる街づくりを目指しています。(寺田理恵)

 「このまま遺体になっちゃうんじゃないかという気がするんですよ。年寄りにならないと分からない感覚です」

 公団西三田団地で独り暮らしをする岡田敬子さん(78)=仮名=は、日曜に高い熱が出たため、救命救急センターを受診した。本来は重い救急患者のための医療機関。「だれかいれば、飛んでいかない。だれもいないから不安になる」と、独居の心細さを訴える。「若いときなら気軽に付き合えても、年を取ると、お互い何となく距離を置く。どこまで背負うことになるか不安なのでしょうね」

 西三田団地は、小田急線生田駅前の丘陵地帯に広がる坂と階段の街、三田地区にある。昭和41年に分譲され、当初は約1100世帯の多くが30代だったが、子世代はとうに巣立ち、高齢者世帯が増えている。エレベーターのない5階建て。階段から直接、各戸に入るタイプのため、ご近所を「同じ階段の人」「隣の階段の人」などと呼ぶ。階段が違えば、顔を合わせる機会は少ない。階段の上り下りが厳しく、外出の機会も減りがち。

 岡田さんは「いつかお世話になるかもしれない」と今月2日、「コスモスの家」主催の地域交流会に参加した。自治体や社会福祉協議会などの職員、民生委員らも集う席上、「真っ先に、どちらへおすがりすればよいのか教えてください」と問うと、出席者が「まず民生委員さん」「住所は何街区ですか」「それならAさん」と口々に答えた。「Aさんとは階段が違うので、民生委員を続けていらっしゃるとは知りませんでした」と岡田さん。

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 コスモスの家は、三田の小学校区を活動エリアとして、訪問介護などの介護保険事業や配食などを行うNPO。夜間の介護や看取(みと)りには対応できないが、介護老人保健施設などと連携し、1人でも住み続けられる仕組みを作りたいと模索する。

 この日の交流会は、高齢者の相談窓口となる地域包括支援センター(包括)が増えたため、職員らと顔合わせをしてもらうねらいもあった。

 民生委員の1人が「以前、地域包括支援センターを訪ねたときは、忙しくて私たちの要望にまでは応えられないと聞きました」と発言すると、包括の職員が「包括が1つ増えましたので、できるだけ応えたい」と答える場面も。同じ小学校区で活動していても、接触がなければ、互いの事情に疎くなる。こうした取り組みの積み重ねが、住民と公的機関とのネットワーク作りにつながる。

 コスモスの家の年間予算は、介護保険事業や自治体の委託事業による約9000万円。担い手はボランティアも含め100人を超すが、出発点は主婦らが始めた。理事長の渡辺ひろみさんが昭和41年に引っ越してきた当時、西三田団地はコンクリートの箱が並ぶ殺風景な街だった。男性は都心へ通勤し、街に残った主婦らが幼稚園や保育園、学童保育などの設置を求めてきた。そうした中、「一番怖いのは孤立です」という住民の声をひろい、平成元年、団地の集会所で週1回2時間半のミニ・デイサービスを始めた。

 12年には介護保険の訪問介護やデイサービスなどをスタート。14年、保険を利用しない人にもネットワークを広げるため、三田地区の公共施設や相談相手の有無などを調査した。その結果、住民の多くが孤立していることを把握し、対策として、15年に交流スペース「三田ふれあいセンター」をオープン。昼食会やヨガクラブなど、高齢者の集まる場を提供している。

 「三田地区は生活に必要な公共施設がそろい、再生していける街」と渡辺さん。

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 牧里毎治(つねじ)・関西学院大人間福祉学部教授は「小学校区を基盤とする福祉活動は、利用者と援助者が一体化しやすく、各地で注目されている。いざというときの連絡、ゴミ出し、庭の手入れなどのちょっとした助け合いは、住民がつながることで可能になる。地域の人が、行政の担当者らと同じテーブルで議論する場を作り、一緒に考えれば、行政側も地域に入りやすくなる」と指摘している。

(2008/04/21)