定年退職したばかりのシングル女性が、「これから、自由になんでもできると思っていたのに、お先まっくらよ」と嘆いている。
聞けば目下、1人暮らしの母親の件で、長兄から介護担当人を言い渡されてしまったのだとか。
「どうせ1人で身軽なんだから、お前が親と暮らすのが一番いいんじゃないか」と。
母親は、80代後半。トイレが詰まっちゃったとか、家の鍵をなくしたとか、預金通帳が見当たらないとか、すでにもう十分振り回されている状況とか。
「今時の親って、結局は、お嫁さんじゃなくて、実の娘に頼ってきちゃうんですよねえ」
80代で、今時の親といわれるのもなあ…、と思わず笑ったけれど、彼女の嘆きには訳があった。
というのも、彼女は、長男夫婦が両親と同居することになった時、実家を追い出されちゃった娘なのだそうな。
30年も前の話ではあるのだけれど。その時の長男夫婦の同居の条件が、娘(小姑(こじゅうとめ))は家から出す、ということだったらしい。
親は老後を娘ではなく、息子に託したのである。
ところが、嫁しゅうとめの折り合いがつかず、十数年で長男夫婦は、実家を出ていってしまった。
そんな経緯もあって、「今さら、なによ!」というわだかまりが彼女の中から、どうしても消え去らないらしい。
どの家族にも、過去にさかのぼれば、いろいろとある。介護問題というのは、そういう忘れていたあれこれを、一気に噴出させてしまうものである。
「兄夫婦は、若い時には、実家に居候して、共働きで孫の面倒をみさせて、お金もためて、親が年老いたら、マイホームを建てて、同居を解消よ。で、介護はとことん逃げ切ります、なあんて、あまりにちゃっかりした人生じゃない?」
彼女の口調は、言えば言うほど悔しさがエスカレートしていく。
そう、なかなか圧巻。彼女の怒りも、怒りの理由も。
でも、と思う。
確かに介護は大変だけれど、逃げ切って楽勝、というものでもない。晩年にあれこれあった親とどっぷり暮らして、格闘してみるのも、実の娘だからこその感慨もあるにちがいない。
過ぎてみればの話だけれど、人生、めぐり合わせで降ってきちゃったものには、逃げずに受けて立つ、という選択もきっと悪くないよ、となぐさめる私であった。(ノンフィクション作家 久田恵)
(2008/07/18)