産経新聞社

ゆうゆうLife

【ゆうゆうLife】家族がいてもいなくても(77)めぐり合わせの介護

 定年退職したばかりのシングル女性が、「これから、自由になんでもできると思っていたのに、お先まっくらよ」と嘆いている。

 聞けば目下、1人暮らしの母親の件で、長兄から介護担当人を言い渡されてしまったのだとか。

 「どうせ1人で身軽なんだから、お前が親と暮らすのが一番いいんじゃないか」と。

 母親は、80代後半。トイレが詰まっちゃったとか、家の鍵をなくしたとか、預金通帳が見当たらないとか、すでにもう十分振り回されている状況とか。

 「今時の親って、結局は、お嫁さんじゃなくて、実の娘に頼ってきちゃうんですよねえ」

 80代で、今時の親といわれるのもなあ…、と思わず笑ったけれど、彼女の嘆きには訳があった。

 というのも、彼女は、長男夫婦が両親と同居することになった時、実家を追い出されちゃった娘なのだそうな。

 30年も前の話ではあるのだけれど。その時の長男夫婦の同居の条件が、娘(小姑(こじゅうとめ))は家から出す、ということだったらしい。

 親は老後を娘ではなく、息子に託したのである。

 ところが、嫁しゅうとめの折り合いがつかず、十数年で長男夫婦は、実家を出ていってしまった。

 そんな経緯もあって、「今さら、なによ!」というわだかまりが彼女の中から、どうしても消え去らないらしい。

 どの家族にも、過去にさかのぼれば、いろいろとある。介護問題というのは、そういう忘れていたあれこれを、一気に噴出させてしまうものである。

 「兄夫婦は、若い時には、実家に居候して、共働きで孫の面倒をみさせて、お金もためて、親が年老いたら、マイホームを建てて、同居を解消よ。で、介護はとことん逃げ切ります、なあんて、あまりにちゃっかりした人生じゃない?」

 彼女の口調は、言えば言うほど悔しさがエスカレートしていく。

 そう、なかなか圧巻。彼女の怒りも、怒りの理由も。

 でも、と思う。

 確かに介護は大変だけれど、逃げ切って楽勝、というものでもない。晩年にあれこれあった親とどっぷり暮らして、格闘してみるのも、実の娘だからこその感慨もあるにちがいない。

 過ぎてみればの話だけれど、人生、めぐり合わせで降ってきちゃったものには、逃げずに受けて立つ、という選択もきっと悪くないよ、となぐさめる私であった。(ノンフィクション作家 久田恵)

(2008/07/18)