産経新聞社

ゆうゆうLife

家族介護 足りない心への支援策(下)

母親の写真を見ながら、ケアマネジャーの小沢徹さん(右)と会話を交わす。母親を介護する山口さんには、ほっとする時間だ=東京都板橋区


 ■心の危険に気付く態勢を

 介護を苦にした自殺や殺人など、痛ましい事件が後を絶ちません。事件に至る心理はさまざまですが、悩みを隠して頑張り続けると、心の糸がプツリと切れてしまうこともあるようです。介護者の“心の危険信号”に気づこうと、訪問看護師を巡回させる自治体も出てきました。事件の予防につなげる積極的な関与が求められています。(清水麻子)

 「辛かったですね」。担当訪問看護師が声をかけると、義母(94)の介護を続けてきた神奈川県秦野市の山下真知子さん(69)=仮名=は「すべて嫁である私が悪いと言われ、何度死のうと思ったか分かりません」と涙をぬぐった。

 介護者の心の状態を把握するため同市が行う「介護者うつ実態調査」で、山下さんは今年2月、中度以上の鬱(うつ)があるとされた。

 結婚した当初から受けていた“いじめ”は、義母が介護状態になるとエスカレートした。義母は現在、要介護3で寝たきりに近い。たびたび尿をもらすが、片づけようとすると、「これは水だ」などと抵抗した。

 気に入らないことがあると、「嫁が悪い」と叫んで窓をたたき、「分かりました。出ていきますよ」と返せば、「私が孤独死したら、恥をかくのはあなたたちだ」と悪態をついた。会社をやめて介護を手伝うようになった夫(68)にも、義母は暴言を投げ、夫は「早く死んでもらいたい」と言うまでに。市の調査では、夫も山下さん同様に中度以上の鬱があるとされた。

 今春、山下さんは訪問看護師に勧められ、市の介護者サロンに参加した。そこで同じように介護で悩む人の心の内を聞き、「まだ私は甘いかも」と思える余裕も出たという。

                   ◇

 秦野市が在宅介護者の心の実態調査を始めたのは、平成17年に市内で起きた70代夫婦の“心中”がきっかけ。まじめで正義感が強いと思われていた夫が介護を苦に心中を図り、夫は助かったが、寝たきりの妻は死亡した。同市の栗原一彰高齢介護課長は「介護者の心の内は周囲に見えづらく、積極的に掘り起こす必要性を実感した」という。

 そこで昨年7月、在宅介護者の抑鬱(よくうつ)傾向を判定しようと、ケアマネジャーが20項目の質問を実施。同時に、中度以上の鬱がある介護者には、訪問看護師が悩みを聞く事業を始めた。状態に応じて介護サービスも紹介する。今年3月末までに約520人に実施。実態は予想以上に深刻で、半数に軽度以上の鬱が見られた。市は1人だった訪問看護師を、6人に増員して対応している。

                   ◇

 介護ストレスがたまれば、自己犠牲感が増し、矛先は要介護者に向く。岡山県立大学の桐野匡史助手らが14年に高齢者を介護する約1100人に行った調査では、要介護者に否定的な感情を抱く在宅介護者の姿が浮かび上がった。「要介護者を見るだけでイライラする」の項目では、「ときどきある」「しばしばある」が5割以上。「要介護者に対して我を忘れるほど頭に血が上るときがある」も3割以上だった。

 介護者の負担軽減には、ケアマネがケアプラン作成で配慮するだけでも効果があるとの指摘もある。立正大学の国光登志子教授は「ケアプランは本来、要介護者のためだけでなく、介護者の心まで考慮する必要がある。自殺や虐待などの痛ましい事件は、ある程度、未然防止が可能だ。しかし、そんな配慮ができるケアマネは1〜2割ではないか」と言う。

                   ◇

 東京都板橋区の会社員、山口正さん(55)は要介護3の実母(85)と2人暮らし。母は目と耳が不自由だが、普段は介護をさほど重荷に感じないという。しかし、昨夏、母がたびたびコンロの火を消し忘れたときには、「いつか火事を起こすかも」と、沈んでしまった。

 そんなとき、ケアマネの小沢徹さん(44)が示したプランに救われたという。昼1回だった訪問看護を、週2回、母が家事をする夕方に変更し、看護師にも火の消し忘れがないかどうか確認してもらった。母が今まで通り料理できるように、だ。山口さんの負担軽減のため、母親のデイサービス利用も勧められた。山口さんは「料理好きの母が料理を続けられ、私のことも考えてもらい、うれしかったですよ」と言う。

 小沢さんは「介護者の力の3割は介護以外の『余力』にできることが望ましい。明るい性格の人も過信せず、要介護者や介護者の状態に応じたケアマネジメントを心がけています」と言う。

 国光教授は「ケアマネが介護者に応じたプランを立て、時には相談に乗ることで介護者の心の負担を減らせる。また、秦野市のような仕組みがあれば、ケアマネも心強い。痛ましい事件を防ぐには、さまざまな専門職が連携することが必要です」と話している。

(2008/07/23)