乳幼児期の集団予防接種の際に、注射器の連続使用でB型肝炎ウイルスに感染した人は多いと見られます。いわゆるB型肝炎訴訟で、国は6月、この責任を問われ、最高裁で全面敗訴しました。原告として勝訴した亀田谷和徳さん(23)は0歳で感染し、いつ発症するかしれない不安と向き合います。その不安を支えてきたのは、母親の愛子さんでした。(聞き手 柳原一哉)
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私は中学卒業後、美容師学校で技術を身につけ、仕事を始めました。19歳で結婚、20歳で長男(25)が誕生。その2年後に二男の和徳が生まれました。若い出産と思われるかもしれませんが、当時は周囲も同じようなペースだったので、ごく自然な流れでしたね。
子供が生まれると自覚が出て、出産後は仕事も辞めて子育てに集中しました。子供が大きくなるまでずっと専業主婦でした。子育てのころはがむしゃらでしたよ。子供の成長を見るのは楽しいけれど、毎日が忙しくて目いっぱい。とくに長男はよくかぜをひき、夜泣きも激しく、手がかかりました。和徳は、おねしょ以外は手がかからなかったんです。
発端は、私が急性のB型肝炎にかかったことでした。昭和59年3月ごろ。和徳は生後11カ月でつたい歩きをしていたころかな。私はかぜのような症状で微熱が続き、食欲がなかった。なかなか治らず、とうとう食事もとれなくなり、病院に駆け込んだんです。
検査したら、B型急性肝炎。劇症肝炎の一歩手前で、黄疸(おうだん)もあり、医師から「2日遅れていたら、死んでいましたよ」といわれました。子供は小さいし、主人は仕事が忙しい。親も遠くにいるので、我慢してしまったようです。
2人の子供を実母に預け、3週間の入院。完治し、退院後すぐに家事に戻りました。自分の子供が大事だからできたことでしょうね。
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病院では私がどう感染したかを調べました。和徳の妊娠中も、出産直後も血液検査はしており、その際には陰性だったからです。主人も長男も陰性。しかし、和徳だけはB型肝炎ウイルスのキャリアと診断されたんです。
このため私は、キャリアの和徳から授乳時に感染したのだろうと、病院で説明されました。
では、和徳はどこで感染したのか。病院に残っているカルテをすべて調べましたが、注射などの医療行為はしていなかった。このため、感染原因としては、生後3カ月のときに保健所で受けた予防接種しか考えられないと。集団予防接種の際、注射針を一人一人かえずに、連続注射をしたためだったと分かりました。
予防接種の様子はよく覚えています。保健所ではその日、和徳を含めて70人が予防接種を受けた。5、6人ずつ呼ばれて、順番に並び、職員が子供の腕をさっと消毒して、お医者さんが順々に注射をしていく。
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このときに感染したのでは、と聞かされたときは頭が真っ白になりました。
和徳はそれまで大病もなく、見た目は元気そのものです。キャリアというのはどういう病気なのか。何が悪いのか分からず、肝臓病に関する本を3冊買い込んできて読みました。医学的なことはよく理解できませんでしたが、キャリアだと、将来、慢性肝炎や肝硬変になると分かりました。
私のB型肝炎は急性で完治しましたが、キャリアの和徳には一生ついてまわる。いつ出るかは分からないが、23、24歳ごろまでには95%は発症するというのです。
キャリアと分かったのは和徳がまだつたい歩きの時期でしたから、将来の不安はものすごく大きかった。成長するにつれ、ちょっとかぜをひくと肝炎が出たのではと考えてしまうんです。なんだか爆弾を抱えているような…。
和徳には気管支ぜんそくもあって、よく発作で呼吸困難を起こす。何度も病院に走りました。だから重症になる前に、早め早めに病院に行くようにしましたよ。
食事も、シジミのみそ汁やほうれん草がいいと本に書いてあったので、メニューに取り入れた。一生懸命でしたし、発症していない今もその心配は消えていません。
また、感染させてはいけないと、長男にはすぐにワクチンを接種させました。
それにしても、どうして自分の子供だけ、B型肝炎にかかってしまったんだろう、って。その疑問は尽きませんでした。
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【用語解説】B型肝炎訴訟
乳幼児期の集団予防接種が原因でB型肝炎に感染したとして、和徳さんら札幌市の患者ら5人が国に損害賠償を求めて提訴した。最高裁は6月、原告全面勝訴の判決を出した。
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【プロフィル】亀田谷愛子
かめだや・あいこ 昭和35年11月、北海道生まれ。札幌市在住。身障者施設勤務。二男の和徳さんがB型肝炎キャリアであることを知り、和徳さんが6歳の時に提訴を決意した。
(2006/08/03)