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「笑い」のあるケアを提唱(上)

 □介護士、袖山卓也さん

 ■親友の死を機に不良生活やめて医療の道目指した

 「笑い」のある高齢者ケアを提唱、実践する介護士がいます。袖山卓也さん(34)は自称“元ヤンキー”。親友をオートバイ事故で失ったのをきっかけに生きる意味を問い直し、介護の世界に入りました。「明日という日は当たり前に来ない。命に限りがある高齢者だからこそ、一瞬一瞬を楽しく過ごしてもらいたい」。そう話す袖山さんに、高齢者が笑うことの意義と、自らの人生を語ってもらいました。(清水麻子)

 私は今、名古屋市の特別養護老人ホームなどの高齢者施設で、「笑い」を中心に据えた介護を実践し、その効果を実感しています。

 生活の中心となる時間帯は常に会話や歌、コントなどで高齢者に働きかけ、笑顔を導く努力をしています。どんなにむっつりとしたおじいちゃん、怒り続けるおばあちゃんも、笑顔がみられるようになり、活力を取り戻しています。

 「本当に笑う」ということは、ほほえむだけではなく、ワハハと声を出して笑っている状態のことです。声を出して笑っているのは、心から楽しく、嬉しがっている証拠。ですから私たちは、声を出して笑ってもらうことを目指しています。

 施設に入所する高齢者は、寂しさを抱えています。社会から引退し、自分のことが自分でできなくなり、家族から離れ、中には最愛の人と死別してしまった人もいます。そして人生の終焉が近づいていることを知っています。

 そんな世界で最期を遂げるのは悲しすぎる。声を出して笑えるほど、明るくて目いっぱい輝く世界で最期の瞬間まで楽しく過ごしてもらいたいと思います。

                    ◇

 人生を大事に、楽しく生きることが大切だと思うようになったのは、私がかつて人や自分を傷つけていた時代があったからです。中学の終わりころから高校の中ごろまで、私はいわゆるヤンキー(不良)でした。

 父は長距離トラックの運転手で、母はパートの美容師。2人とも優しく、幼いころは、貧乏を特に意識することはありませんでしたが、思春期を迎え、狭いアパートの一部屋で暮らしていることに耐えられなくなってきたのです。

 貧乏へのコンプレックスから、怒りがこみ上げ、けんかとバイクの暴走に明け暮れる日々を送るようになりました。

 力が強いやつ、威厳を振りかざす先生、警察、自分のコンプレックスを生み出す社会にあたり、強いと呼ばれる者には、常にケンカを挑みました。

 暴走行為をし、埠頭(ふとう)ではコンクリート壁まで、最高スピードでどこまで近づけるかを試す。危険にどれだけ挑めるかが、勇気の象徴だと思っていました。

 高校1年の終わりころには、学校にも家にもほとんど行かなくなりました。たまに帰ったときは血だらけで、母は、私が出かけるたびに、死んで帰ってくる覚悟をしたといいます。

                    ◇

 そんなある日、バイク仲間の親友がコーナーリングに失敗して転倒、事故死したのです。彼は転倒直後に「大丈夫、大丈夫」と、よろけながらも立ち上がり、外傷もないように見えました。でも内臓破裂で帰らぬ人となりました。

 お通夜では、彼のお母さんが半狂乱で号泣していました。着物はぐちゃぐちゃ、頭もぼさぼさで彼の名前を呼び続けているんです。一瞬たりとも、彼の棺から離れようとしなかった。お母さんはその後、精神を病んだと聞きました。

 もしも自分が死んだら…。彼のお母さんが、自分の母の姿と重なりました。死は、残された人を、そんな状態にしてしまうのか。漫然とした死への恐怖が、実感を伴って迫ってきました。

 私は自分のしてきたことを恥じ、深く反省し、不良をやめる決意をしました。茶や金のメッシュを入れた髪の色を戻し、そったまゆ毛をペンで修正し、眼鏡をかけて高校に通学するようになりました。

 もっとも人間、そう簡単に変われるものではありません。貧乏には相変わらずコンプレックスがあったし、世の中への反抗心も消えることはなかった。それでも、けんかやシンナー、中学時代から吸っていたたばこ、無謀なバイクの運転からは足を洗いました。

 人生をもう一度、もらったようなものでした。その中で、何をすべきか考え、一つの結論にたどり着きました。

 人に突然襲いかかる「死」を、できる限り人から遠ざけよう。すべての人が病や事故で突然、命を落とすようなことがあってはいけない。突然逝った彼の身内のような悲しい思いを、誰にもさせたくない。私は医療の道に進むことを決意しました。

                    ◇

【プロフィル】袖山卓也

 そでやま・たくや 昭和47年、愛知県名古屋市生まれ。34歳。高齢者施設の開設支援や講演活動を行う有限会社「笑う介護士」代表取締役。特別養護老人ホーム「メリーホーム大喜」統括マネジャー。名古屋大学医療技術短期大学(現名古屋大学医学部保健学科検査技術科学専攻)卒。社会福祉士、介護福祉士、ケアマネジャー、臨床検査技師。著書に「笑う介護士の極意」(中央法規)など。http//www.geocities.jp/waraukaigosi/

(2006/08/10)

 
 
 
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