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大学教授・吉野啓子さん(上)

大学教授 吉野啓子さん


白血病と判明して約5カ月。これが夫婦最後の旅となった。=平成9年3月、和歌山県白浜町


 □肝がんの夫の闘病支えた

 ■退院後に白血病を併発

 ■「君と生きたかった」 遺言のテープに涙

 京都ノートルダム女子大学教授の吉野啓子さんは9年前の夏、NHKのアナウンサーだった夫、正美さん=当時56歳=を亡くしました。正美さんは肝臓がんから白血病を発症。医師から「余命2年」と宣告されましたが、なんとか生きようと必死だったそうです。そして啓子さんには最後まで、病状を隠し通そうとしました。(聞き手 永栄朋子)

 夫の肝臓にがんが見つかったのは、平成8年のことでした。当時、夫は54歳。NHKのアナウンサーとして、全国を転々とした生活も終盤を迎え、NHK大阪放送局に腰を落ち着けていました。

 幼少時に腎臓を患った夫は、病気には人一倍神経質な人でした。毎月1回の定期健診を欠かさず、腫瘍(しゅよう)が見つかった際も、いい機会だからと、全身の健康状態をチェックしてもらったほどです。 

 当初、がんはエコーに映らないほど小さく、手術もうまくいったので、私たちも大事とは考えていませんでした。

 夫は退院後、これまで通り仕事や趣味の万葉集の世界に没頭し、休みとなると、奈良中の万葉集ゆかりの地を車で回るなど、8冊目の著書を出版する準備を進めていました。

 ところが、退院から8カ月目。主治医から電話で「ご主人は白血病の疑いがあるので、専門医を受診するように」と、言われたのです。

 私は小学4年生のとき、弟を白血病で亡くしています。幼稚園児だった弟は、1年の闘病生活で逝ってしまいました。だから、夫もきっと1年の命に違いないと。私は受話器を握ったまま、その場に泣き崩れました。

                   ■□■ 

 白血病とわかってから、夫はすべてをひとりで背負いこもうとしました。

 「残念ですが、放っておけば3カ月、治療して2年(の命)です」

 白血病の主治医は夫にそう告知したそうです。しかし、夫は私には自分の病状を隠し通そうとしました。

 なんとしてでも、生きたかったんだと思います。どこでどう聞いてきたのか、胎盤が白血病の治療に有効だと知ると、人工授精で子供を持とうと言い出しました。そして、告知の日から無菌室に入るまでの短い間に、自ら不妊治療の病院を探し出してきました。

 人工授精って注射も必要で、肉体的にも精神的にも、すごくつらい。私は「何もそこまでしなくても…」と思いましたが、夫は必死でした。そんな夫の姿に「そうまでしても、この人は生きたいんだ」と心打たれ、何度か協力しました。

 夫は無菌室で数回の集中治療を受ける予定でした。治療費は1回あたり120万円。最終的には公的医療保険から還付がありましたが、当初はそれも知らず、病院から「金銭的な余裕があるか」と聞かれたときは、ずいぶんシビアだと驚きました。

 腎臓に肝臓、そして血液。満身創痍(そうい)でしたから、肝臓に効く薬は血液に悪く、血液に効く薬は腎臓に負担をかけるといった具合で、使える薬が限られていました。治療に耐える体力も残っておらず、結局、この治療は1回で中断となりました。

                   ■□■ 

 夫が入院して間もなくのことです。夫の机の引き出しから「啓子へ」と書かれたテープが出てきました。見た瞬間、遺言に違いないと思いました。震える手でテープをセットすると、「10月25日…」と、切り出す夫の声が聞こえてきました。

 「君とずっと生きたかった。おれたち、いい夫婦だよな? もっと国内のいろんなところに連れて行ってやりたかったのに…。もっと君に、外国に連れて行ってもらいたかったのに…」

 1時間テープの最初から最後まで泣き声で、ところどころ、涙で聞き取れませんでした。

 自分の命が残り少ないことを、この人は知っていたんだ。そう思うと、ひとりで耐えていた夫がいとおしく、哀れに思えて、涙が止まりませんでした。

 精神的な支えになりたくてもすべもなく、ましてや「テープを聞いたよ」とも言えず。朝方まで考えて、夫に手紙を書きました。二人のために生きてほしいと。

 見舞いの帰り、夫の枕元にその手紙を、そっと置いてきました。夫はきっと夜中に読んだのでしょうね。夫の死後、その手紙が出てきたのです。便箋(びんせん)の裏には「二人のために生きてという/妻の手紙で堰(せき)が切れ/闇夜の中でひとり涙す」という夫の句が書き添えられていました。

           ◇

【プロフィル】吉野啓子

 よしの・けいこ 京都ノートルダム女子大学教授(英文学)。学生時代に特養ホームで楽器演奏の指導ボランティアを務め、マスコミ各社に取り上げられる。この活動が当時、6歳年上のNHKのアナウンサーだった夫の正美さんと出会うきっかけになった。正美さんは同局で「万葉番組」などを担当。「万葉ロマン紀行」(偕成社)などの著書がある。

(2006/09/07)

 
 
 
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