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大学教授、吉野啓子さん(下)

 ■肝臓がんの夫の闘病支えた

 ■心ない医師の言葉 死の恐怖におびえた夫 告知は必要なのか

 夫で、NHKのアナウンサーだった吉野正美さんは肝臓がん手術後も、月一度の定期健診を欠かしませんでした。しかし、再発がんは気づいたときには手遅れでした。命の刻限が迫っていることを知って、正美さんは死の恐怖におびえ続けました。そんな夫を思うとき、啓子さんは「告知は本当にみんなに必要なのだろうか?」と、考え込んでしまうそうです。

(聞き手 永栄朋子)

 平成8年はじめに肝臓がんと診断され、10月に白血病を併発し、翌年8月に56歳で亡くなるまで。夫の闘病生活を振り返ると、私は今でもいたたまれない気持ちになります。

 夫は手術後も毎月、健診を欠かしませんでしたが、診断は後手に回った感がありました。ある月は「白血病の疑いがある」と言われ、ある月は「肝がんが再発し、それが大きくなりすぎて…」と、もはや手遅れと告げられました。

 夫に限って、手遅れだなんて…。私はよっぽど肝臓の主治医に「あなたの怠慢のせいではないのですか」と言いたかった。けれど、患者は弱い立場です。夫が人質に取られている気がして、「月に一度受診しても、このようなことになるのですか?」と聞くのが精いっぱいでした。

 しかしその言葉は、主治医のかんに触ったのでしょうね。まさに腹いせといった感じで、「医者の怠慢だと言いたいんでしょ? そんなことより、もう残された時間はないんですよ」と、夫の前で言い放ちました。

 余命2年といわれながら、なんとか生きようとした夫です。しかし、主治医のその一言以来、すっかり生きる気力を失って、ただただ死の恐怖におびえるようになってしまいました。

                  ◆◇◆

 病院では患者は人ではなく、モノ扱いだと感じることは、多々ありました。重病人を待合室で3〜4時間も待たせ、診察は検査結果の数値を見て終わり。

 入院中、主人がつらそうなので医師を呼びに行っても、なかなか来てくれず、ようやく来てくれたと思ったら、ため息まじりで帰っていく…。

 ひどい下痢に悩まされた夫がトイレに間に合わず、廊下で粗相してしまったときは、看護婦さんが「あー、本当にこんなところで」と責めるような口調でした。粗相したことは、現実を突きつけられたようで、本人が一番つらかったと思います。それを非難され、夫はすっかりめげてしまいました。

 「来年この花を見られるのかな」「5年後や10年後の話は絶対にしたくない」「椿は嫌いだ。ポトリと花が落ちるから」

 夫はすべてを死に結び付けるようになりました。私はそんな夫をどうにか元気付けようと、まるでピエロのようでした。

                  ◆◇◆

 この8月で、夫が逝ってちょうど7年。死の前日まで見舞客と話していたのに、最後はあっという間でした。

 今は、がん患者に告知するのが当然のようです。でも、私は本当にみんなに告知が必要なのだろうかと、考えてしまいます。

 もちろん、診察の結果をお医者様に説明していただく告知は必要でしょう。しかし、「あなたは余命いくばくもない」という、死の宣告のような告知は、耐えられない人も多いのではないでしょうか。

 ましてや、夫の主治医のように、「あなたには時間がないのですよ!」という言葉を、自分の怠慢を指摘された腹いせに患者に投げつけるのは、決して正しい告知ではないと思うのです。

 夫が残した手記には、「人は明日があるから、明日があり、将来があるからと信じて疑わないから生きられる。しかし、明日がない、先は行き止まりといわれた人はどうすればいいのか。何もできない。何も考えられない」

 「終点を見ながら生きるのはつらい。何も希望を持てない。ただただ、ぼんやりしているうちに時間は削られていく。やりきれないむなしさだ。急逝の場合はどうだろう。明日に夢を託し、前を見ながら生きている。急逝の方が幸せかもしれない」といった記述が、あちこちにあります。

 死に対する精神的基盤を持たない日本人にとって、死のとらえ方には個人差があります。死の恐怖で心まで病んで、心身ともにぼろぼろになって死んでいった夫を思うと、せめて最期は心だけでも病むことなく、過ごさせてやりたかったと、今でも悔やまれます。

(2006/09/08)

 
 
 
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