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生きる意味、落語で訴える(上)  

 □「いのちの独演会」続ける樋口強さん(54)

 ■闘病で生き方再発見 がん治療の苦しみ 高座で「笑い」に昇華

 今月17日、東京・深川で開かれた「いのちに感謝の独演会」。客席は、年1度の会を楽しみに全国からやってきたがんと闘う人たちや家族。高座で落語を演じたのは、壮絶な抗がん剤治療に耐え、小細胞がんという悪性の肺がんから生還した樋口強さん(54)です。療養中に問い続けた「生きる意味」を、得意の落語に託して訴え、6年になります。「がんの仲間に元気を与えたい」という思いを聞きました。(聞き手 中川真)

 私が演じたのは、がんで入院した経験を描いた「病院日記」という自作の噺(はなし)です。「抗がん剤で髪が抜けたって、いずれ生えてきます。でも、もともとない人は期待してもダメですよ」とか言って笑ってもらってます。客席からは「そうそう。あのときはつらかったね」という実感のこもった反応がビシビシ伝わってきます。

 落語の前に病気の話をしますと、がんが分かってわかったのはちょうど10年前。管理職として新規事業の立ち上げにかかわっていました。だれでも一生に1度は、仕事が面白くて昼夜なしで働く時期があります。私もそんな時期だったんですね。

 人間ドックの後、レントゲン写真を持って大学病院に行くと、検査入院の部屋が準備済み。慌てぶりや親切な対応から、「きっとがんだ」と思いました。告知されたときも、ショックはあまりなかった。「今の医療なら肺がんは完治する。早く治療して職場に戻ろう」という気持ちでした。

 ところが、検査入院して約1週間後、医師から悪性の「小細胞がん」と聞かされ、一気に事態は深刻になりました。半年で全身に転移してしまうという強いがん。人間ドックのタイミングが少し早ければ見つからなかったし、遅ければ手遅れだったでしょう。

 明日の命が否定されてしまう。仕事がどうのこうのなんて言ってる場合じゃない。「とんでもないことになった」という絶望感。それでも、「生存率が低いからダメだ」とあきらめはしませんでした。厳しければ厳しいほど、立ち向かう価値があると思いましたよ。

 「自分がいるのは真っ暗な細い道。少し風が吹けば谷に落ちるかもしれない」という心境でした。でも、この道は途切れているわけじゃない。歩いていけば、きっと明かりにたどり着く。そう信じました。

 「自分は何のために生きるのか」を真剣に考えました。今までは仕事一辺倒だったけど、何より大切なのは家族だ。原点に戻ろう。真っ暗な道の先に、生きる目標が見えました。

                  ◆◇◆

 でも、大変だったのはそれからです。こぶし大になったがんが転移しないように、まず強い抗がん剤で小さくしてから手術をしましたが、6カ所のリンパ節に転移の跡がみつかり、がん細胞がすでに体中を回っていることが分かりました。

 さあ、どうする。外科医は、「抗がん剤で急いでがんをたたくべきだ」と言いました。でも、手術直後で体力も免疫力も下がっています。内科医は「危険すぎる。それに免疫ができると、再発したとき同じ薬が効かなくなる」と主張します。どちらも当然の意見です。

 でも、ここで大事なのは「生きる主役」の患者が、自分で決めることです。判断の軸足になるのは、医学の知識ではなく「どんな生き方をしたいか」でしょう。

 私は治癒して普通の暮らしに戻りたかった。だから、苦しみを和らげるのでなく、「つらくて危険でも、抗がん剤をすぐに使うしかない」と心を決めました。「獰猛(どうもう)で短気な小細胞がんに背を向けたら、牙をむいて襲いかかって来る」と、玉砕覚悟で中央突破を決断したのです。

 内科医と何度も話し合い、最後は「あなたの生き方を応援しましょう」と言ってくれました。私はがんの仲間たちに「自分がどう生きたいかを、きちんと伝えるべきだ」と言っています。思いが理解され、初めて医療者との協力関係が生まれます。多くの医師もそれを望んでいるが、患者の思いが分からず、「標準的医療」しか説明できないケースが多いと嘆いています。

                  ◆◇◆

 抗がん剤を入れ続けた3カ月間、腎機能の低下など苦しい副作用に耐えました。脱毛なんて本当に一時的なことです。

 幸い、10年間再発していませんが、今も副作用で体がしびれ、痛さなど皮膚の感覚はほとんどなく、立っていることも分かりません。毎日のリハビリは欠かせず、「大きなおつり」をもらったなと思います。

 頑張れたのは、会社が「席は空けておく。じっくり治療しろ」と言ってくれたおかげです。働き盛りの人間なら、何とか社会の役に立ちたい。会社に戻りたい。「人の手を借りずに仕事ができること」が復帰条件でしたから、必死にリハビリに取り組みました。

 もう一つの励みが病室で聞いた落語のテープ。古今亭志ん生師匠の「火焔(かえん)太鼓」には腹の底から笑えました。仕事が忙しく、遠ざかっていた落語への情熱がよみがえりました。入院で得た「再発見」でした。

                   ◇

【プロフィル】樋口強

 ひぐち・つよし 昭和27年、兵庫県生まれ、54歳。新潟大の落語研究会に所属し、卒業後も「東レ」のサラリーマン生活に加え、社会人落語の会で活躍。平成8年に肺小細胞がんが発覚し、手術や抗がん剤治療、リハビリに耐えた。いまもしびれなどの後遺症があるが、術後5年を記念し、13年に落語会「いのちに感謝の独演会」を開催。マクラで語った闘病のエピソードが共感を呼んだ。翌年からは年1度、がんの患者と家族だけを招き、創作落語「病院日記」を語り続けている。高座名は「羽太楽家はじ鶴(はたらくや・はじかく)」。16年に退職し、現在は執筆や講演の活動を行っている。

(2006/09/28)

 
 
 
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