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「太陽の家」理事長 中村太郎氏(46)

 ■障害者自立には周囲の理解必要 社会が適切な支援を

 いち早く日本で障害者の就労支援に取り組み、障害者スポーツを普及させ、小学校の道徳の教科書にも載った中村裕(ゆたか)氏を父にもつ太郎さん(46)の生活には、いつも障害者がいました。太郎さんは「障害者支援のためには、障害者を知ろうという周囲の理解が必要だ」と訴えます。(北村理)

 「障害者と健常者がともに尊厳をもって暮らす」とは、どういうことかを考え続けています。「太陽の家」の創設者である父の方針で、幼いころから、障害者は私の生活のなかに絶えずいました。

 「太陽の家」の名付け親ともなった作家の水上勉さんの娘、直子さんは下半身マヒでしたが、直子さんが4歳の時に、父が治療のためにわが家につれてきて、生活していました。

 一緒に幼稚園に通い、「直ちゃん」「太郎お兄さん」と呼び合って、家族のように暮らしていました。私にはごく自然なことでした。

 自分の意識のなかでは、障害者といることが自然なのですが、施設の理事長としては、悩みはつきません。

 「太陽の家」では、創設者の父(裕氏)が掲げた「保護より機会を」をモットーに、障害者の社会参加を40年来、支援し続けてきました。

 この結果、民間企業との共同出資会社では500人以上の雇用を進め、これらの障害者は、健常者と同等の給与を得て、家庭をもち、自家用車で通勤しています。

 しかし、社会参加を目指している重度の障害者260人は、平均在籍年数が14年で、そこからなかなか次のステップに進めず、定着してしまっています。

 平均工賃が2万1000円にとどまっており、人生の将来設計をたてたり、豊かな趣味をもったりするような、人間として尊厳をもって生活できるレベルにあるとはいえません。

 さらに、昨年4月からの「障害者自立支援法」の施行で、施設利用料などの利用者の負担が増加しました。

 施設利用者を対象に、法施行後の生活を調査してみると、貯金が大きく減少し、飲食を控えるケースが増えていることが分かりました。

 施設での飲食を控えるだけではありません。施設内のスーパーでは、安価なレトルト食品やお弁当、インスタントラーメンなどが売れています。私としては、施設利用者の健康状態が心配です。

 障害者の自立は、本人の努力だけでは不可能です。社会が適切な支援をする必要があります。

 共同出資会社では、障害者の社員に対して、それぞれの障害の形態に応じた勤務態勢をとっています。

 脳性マヒでも作業が可能なように、数百万円かけてシステムの開発をしたりもします。

 こうした周囲の支援が障害者の意欲を生かすのですが、支援のためには、障害者のことを知ろうという周囲の努力も必要です。

 脳性マヒと知的障害の区別がつかない人も多いのではないでしょうか。脳性マヒの人は環境さえ整えば、健常者と同じ仕事ができるのに、単純作業をさせているケースもあるようです。

 また、障害の形態や程度によっては、健常者と同じ環境では、より体力を消耗しやすくなるケースもあります。そうした場合には、職場でそれなりのケアをしてやらなければなりません。

 私の父は、障害者の能力向上のために、障害者スポーツに尽力し、1968年、パラリンピック(障害者スポーツ五輪)に日本の選手団長として参加し、75年にアジア太平洋の国々のためにフェスピックを創設し、第1回大会を、地元の大分で開催しました。

 私も父の遺志をつぎ、パラリンピックやフェスピックのチームドクターを務めてきました。

 障害者スポーツはともすれば、「障害を越えて」というような美談として、マスコミなどで伝えられることが多いのですが、実態は少々、異なります。

 障害者の記録は、スポーツ義足やさまざまなリハビリ技術が進歩した結果、健常者の記録を凌駕(りょうが)するようになっています。人間のサイボーグ化ともいえなくもない状況ですが、それがゆえに、こうした技術を利用できる国の選手と、そうでない国の選手に差ができてしまっています。このため、障害者スポーツのありかたをもう一度見直そうという動きも出ています。

 こうして考えてみますと、健常者と障害者の共生という言葉を使うのはたやすいですが、実行は容易なことではないと痛感しています。

 私は今後、障害者の脱施設を目指し、障害者を施設に取り込むのではなく、障害者が地域で生活することにどれだけ支援できるか、研究を重ねていきたいと思います。

                   ◇

【プロフィル】中村太郎

 なかむら・たろう 昭和35年、大分県別府市生まれ。川崎医大卒業後、大分医大整形外科入局、同大博士課程卒。九州労災病院をへて、平成7年、英国留学。12年、大分中村病院長に。18年、社会福祉法人「太陽の家」理事長に就任。この間、シドニーおよびアテネ・パラリンピックでチームドクター。著作に「パラリンピックへの招待」(岩波書店)など。

(2007/02/02)

 

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