得ダネ情報 住まい 転職 為替
powered by goo

文字の大きさ:

 
 
 

 

icon

得ダネ情報

 
 
ゆうゆうLife
 

女優・大空眞弓さん(上)

 ■なったものは仕方ない 女優業で培った強さで 多重がん受け止めて

 女優の大空眞弓さん(65)は平成10年から15年にかけ、乳がん、胃がん(2回)、食道がんにかかりました。いわゆる多重がんです。しかし、がん告知は「ああ、やっぱり」と冷静に受け止められました。もともと、虚弱体質で病気慣れしていたことや、家族をがんで失った経験もあったためでした。「なっちゃったものはしようがない」。悲壮感を持たず、前向きに1日を過ごすようにしています。(聞き手 柳原一哉)

 私は体重1000グラム前後という超未熟児で生まれました。母が急に産気づいて、7カ月目で生まれたためでした。

 そのせいか、幼いころから虚弱な体質で、小学校に入ってからも、週の半分は学校を休んで、家で寝て過ごすほど。学校でも運動会、マラソン、体育、掃除・給食当番は一切免除されていました。

 風邪をひくと、すぐ肺炎にかかってしまうので、子供時代から家にはしょっちゅう、医者が往診にきていました。だから、病院のアルコール臭いのには慣れていて、今でも入院すると妙にワクワクしたりして…。方向音痴のくせに、病院の場所だけは記憶できるんですよ。

 中学校に上がっても、体は相変わらず、弱いままでした。でも、将来は幼稚園の先生になりたくて、現在の東京音楽大学高校に進みました。そこで転機が訪れました。

 声楽のレッスンで大声で歌うことが体に良かったんですね。体力がついてきて、それとともに、私自身も何にでも一生懸命になるよう、変わっていったのです。

 高校時代にスカウトされ、新東宝から映画デビューをしました。美人の姉がいたので、周囲はしばらく、デビューしたのは姉だと勘違いしていましたね。

 この世界は厳しかったですよ。40度の高熱を出したって仕事を休むわけにはいかないんです。仕事に穴をあけるわけにはいきませんから。でも、いま振り返れば、そうやって我慢することで精神的に強くなっていったんだと思います。そのことで、肉体的にもだんだんと鍛えられていったんだと思うんです。

                   ◆◇◆

 そんなわけで、病気は子供のころから私と切っても切れないものでした。また、姉も両親もがんにかかったことがある「がん家系」です。特に、姉は胃がんで29歳で亡くなりました。

 自身のがんについても、心の準備ができていたようなところがあったのかもしれません。平成10年に最初に乳がんが分かって、医師からがん告知を受けたときも、「ああ、やっぱりきたか」と、冷静に受け止めることができました。

 もっとも、仕事が忙しくて、がんを思い悩むどころじゃなかったということもあります。そう言うと、「仕事に生きる女」というふうに誤解されますが、ちょうどテレビの連続ドラマの撮影中でしたし、舞台を間近に控え、ポスター撮りも終わっているし、もう交代ができない。倒れる以外にないんですよ、休むなんて。

 だから、がんを告知されて、精神的に落ち込んでいる時間がまったくありませんでした。

 姪(めい)の結婚式も控えていて、どうしても出席したかったので、早く退院したかった。だから、入院期間が長引く抗がん剤や放射線による治療ではなく、乳房切除を選びました。「いまさら、水着になる仕事はありません」「ばっさりやってください」と、主治医の先生にお願いしたのです。

                   ◆◇◆

 でも、それは乳がんになった年齢にもよるのかもしれませんね。20代の未婚女性が乳がんになったら、私のようにはいかないと思います。

 男性はともすれば、がんで乳房を失ってしまった若い女性を避けてしまうでしょう。それを心配する女性の中には、思い悩んだり、乳房切除に踏み切れなかったりで治療が遅れることがずいぶんあるのではないかと思うんです。だから、男性の理解と協力は必要です。女性を、1人の人間としてみてほしいと思いますね、本当に。

 話を元に戻すと、私の場合、最初の乳がんが分かったときは50代でしたし、(手術で体を傷つけることに)躊躇(ちゅうちょ)がありませんでした。

 お話ししたように、そもそも多忙で時間がありませんでした。だから、あまり悩めなかったということもありますね。

 ただ、病気って、なっちゃったらしようがないでしょ。受け入れるしかないですよね。ポンと渡された「がん」を後ろに投げるわけにいかない。上に投げたら、また自分のところに落っこちてくる。

 「がんになった、なった」と、落ち込んで24時間過ごしていたら、人生つまらないから。

                    ◇

【プロフィル】大空眞弓

 おおぞら・まゆみ 本名は中田佐智子。昭和15年3月生まれ、東京都出身。新東宝から映画「坊ちゃん天国」でデビューし、映画やテレビで女優として活躍している。初舞台は「黒蜥蜴」。「人生はガタゴト列車に乗って」で第15回菊田一夫演劇賞を受賞した。

(2007/02/22)

 

論説

 

 
 
Copyright © 2007 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved.