得ダネ情報 住まい 転職 為替
powered by goo

文字の大きさ:

 
 
 

 

icon

得ダネ情報

 
 
ゆうゆうLife
 

天文学者 磯部しゅう三さん 

夫婦の職場だった国立天文台三鷹キャンパスで思い出を語る、妻の良子さん=東京・三鷹(撮影・鈴木健児)


隠れた桜の名所である国立天文台三鷹キャンパスを家族3人で散策=昨年4月


 ■自らの葬儀を拒み 妻と娘へ手紙を 送るよう願った

 一部の新聞に1月、風変わりな死亡広告が載りました。葬儀を拒み、代わりに、残された妻と娘に手紙を送ってほしいと訴えた主は、昨年の大みそかに肝臓がんのために64歳の生涯を閉じた天文学者の磯部●三さん。遺族の元には多くの手紙が寄せられています。妻の良子(ながこ)さん(60)に話を聞きました。(永栄朋子)

 こういう広告を出したものですから、多くの方から「普段から、死生観などを話し合われていたのですか?」と聞かれますが、そんなことはないんです。

 ただ、新聞広告の元となった「遺言状」=別項=は16年ほど前に書いたものです。当時、磯部が皆既日食の観測でメキシコに行くのを、医師が反対しまして。「高血圧と肝臓の持病があるのに、海抜5200メートルの地に行くのは危ない」と。でも、本人は「自分の専門だから行きたい」と言い、万一に備えて、私に遺言状を手渡して出かけたのです。

 肝臓がんが判明したのは去年の春。それほど重いとは思っていなかったのですが、11月の検査入院からどんどん悪くなり…。それで聞いたんです。「昔、遺言状を預かったけれど、気持ちは変わっていない?」と。「変わってない」と言うので、娘と相談して、あの広告を出すことにしたのです。

 あっけない別れでした。亡くなる3時間前までは話もできたのに、急に悪くなって。でも、磯部らしい最期でした。いよいよ体調が悪くなったとき、「こういう状況が長引くと、お母さんも倒れてしまう」と。いたずらに長く生きるのを望んでいませんでしたから。

                  ■□■

 遺言状を残しておいてくれてよかったと、それが今の素直な気持ちです。

 自分たちがよかれと思っても、常識と違うことをしようとすると、周囲の抵抗はありますから。磯部の場合も、親族は「最低限の葬儀はしてほしい」と望みました。

 「本人は常々『葬儀はいらない』と言っているし、最期くらいは希望をかなえてあげたい」と申しても、なかなかうまくいかない。どちらがいい悪いではなく、人それぞれ考え方がありますから。でも、遺言状のコピーを見せたら、理解してもらえました。

 新聞掲載はためらいもありましたし、避けたい気持ちもありました。出張の多い人でしたから、またスッと帰ってきてくれるんじゃないかと。載せたら現実を直視しなければなりません。

 でも、今は載せてよかったと思っています。磯部の幼なじみや中学時代の恩師、学生時代の友人、教え子に元同僚や国内外の研究者仲間…。80通近い手紙やメールをいただきましたから。

 「そういえばそうだったわね」と懐かしく思う内容や、「そんなこともあったのか」という発見も。娘は父親の仕事についてほとんど知らず、いただいたお手紙で初めて「お父さんって、こういう人だったのか」と知る部分も多かったようです。

 みなさんそれぞれに思いをつづってくださり、どれも同じように印象深いです。

 ただ、磯部の教え子の方が「磯部先生にとっては世界は消滅してしまったのかもしれませんが、私の世界では、磯部先生は心の中で生きていて、情けないとき、いい加減なとき叱責してくれる人として存在しているのです」と記してくださったのは、うれしかったです。私の世界でも、夫として●三は生き続けています。

                  ■□■

 いろんなことに一生懸命な人でした。今でこそ国立天文台の一般公開は当たり前ですが、もともとは磯部たちの尽力で、実現したんです。

 私自身は死生観を記した部分が一番、本人らしいと思っております。常々「死んでしまったら、何も残らない」と言っていましたから。「お葬式もお墓もいらない」と。

 今年が銀婚式なんです。「また、新婚旅行先を訪ねたいね」と言っていたのですが…。「元気ならね」という磯部の答は、もう行けないことが、分かっていたのかもしれません。せめてあと4、5年は生きてほしかった。

 娘に言うことがあるとすれば、「これからも仲良くやっていこうね」でしょうか。それが磯部の一番の願いだったと思いますから。

                   ◇

【プロフィル】いそべ・しゅうぞう

 昭和17年、大阪府生まれ。東京大学理学部修士課程修了。元国立天文台助教授。NPO法人「日本スペースガード協会」理事長。「巨大隕石が地球に衝突する日」(河出書房新社)など著書多数。

                   ◇

 私共の夫であり、父である 磯部●三が2006年12月31日に亡くなりましたので、お知らせいたします。本人の遺言状による強い希望で葬式等は執り行わず、本状にて失礼いたします。

                                 磯部 良子                                    琴葉

 私は1942年7月16日に大阪で誕生以来60有余年の人生を終えることになりました。その間、各年代毎に多くの方々にご支援いただきありがとうございました。私を支持してくださった方はもちろん、敵対された方々の行動も私の人生を飾り付け変化に富んだ楽しいものとして下さいました。

 私は元々神の存在を信じておりません。そのような者が死んだ時だけ宗教に色どられた形式的なふるまいをするのは、理にかなっておりません。ひょっとしたら、私が亡くなればこの宇宙全体も無くなるのではと思ったりしております。万一、皆様の存在が残る場合には、有意義な人生をすごされるよう願っております。私自身の葬式等一切の形式的な事はしないよう、また、遺骨等を残さないように家族の者に遺言してありますので、ご理解下さい。

 そのような訳でお香典などは固くお断り申し上げます。もし、私に好意を持っていてくださった方々にお願いできるものでしたら、妻良子、娘琴葉に私とのお付き合いがどのようであったかなどを書いた手紙を送ってやっていただければ、この上もない幸いです。娘も、父がどのような人間であったか、理解してくれるでしょう。短くもあり長くもあった私の人生でしたが、ありがとうございました。

                                 磯部 ●三

●=王へんに秀

(2007/03/02)

 

論説

 

 
 
Copyright © 2007 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved.