得ダネ情報 住まい 転職 為替
powered by goo

文字の大きさ:

 
 
 

 

icon

得ダネ情報

 
 
ゆうゆうLife
 

助産師 矢島床子さん(上) 

 ■助産師の仕事は 産婦のすべて受け入れ 心をそっと支えること

 産科医や助産師の不足からお産の危機が叫ばれています。その窮地を救おうと、カリスマ助産師の矢島床子さんは、後進の育成のため全国を講演で飛び回っています。矢島さんは母親の心を支えることと、医師との連携の大切さを訴えます。(北村理)

 助産師として開業して今年で20年目になります。先月末までに、3140人の赤ちゃんとの出合いがありました。

 お母さんたちには、産後にお産の記録を残してもらっています。それが今では大学ノート100冊以上になりました。このおかげで、私は今までやってこれました。ここには、生まれ変わりともいうべき大事業を成し遂げた、お母さんたちの心の葛藤(かっとう)が描かれています。

 私たち助産師の仕事は、母親になろうとする女性の揺れる心を読み取り、それを、そっと後ろから支えることなのです。

 私は、お産を迎える女性たちに3つの言葉を伝えます。「別世界」「バカになる」「原風景」です。

 まず、ありのままの自分をさらけ出し、「別世界」に飛び出すこと。お産に伴う痛みは、母親になる責任を“痛感”する準備でもあります。

 そのためには、わがままを言って、大声を出して、すべてを出し切って、といいます。これは、見えも外聞も捨てて「バカになる」ということです。

 例えば、トイレに行ってスリッパをそろえて出てくるようでは、まだまだ本番は遠い。あわててバタバタと飛び出してくるようになったらしめたものです。

 こうした過程で女性は子供にかえったように声をあげ、わがままをいう。そして、体の中から赤ちゃんが出てきて、人生の新しいステージに立つ。お産という大事業で女性から母親になり、出産がその後の人生の「原風景」になるわけです。

 最近、子供を産んだお母さんは、新しい人生のステージに立った気持ちを、「お母さん、産んでくれてありがとう。女性で良かった。赤ちゃんを取り上げてくれた夫に感謝」とつづっています。

 私は、共に働く助産師と3つの約束を交わしています。

 1つめは「お産を迎える女性をひとりにしない」

 2回目、3回目のお産でも、お産を迎える女性の気持ちはいつも、不安でいっぱいです。

 「いつも体のどこかに触れている」

 お産の間、女性の体はどんどん変化していきます。骨盤が開いて、赤ちゃんが出ようとする痛みは想像を超えるものです。痛みに必死に耐えようとするお母さんの呼吸に合わせて、体のどこかに触れてマッサージをし、安心してもらう。

 ある時、とてもお産が長引いた人がいました。疲れ果てて座り込もうとしたとき、そっと後ろから抱えてあげたんです。すると、私に身体をあずけ、涙を流し始めました。「亡くなった母親を思いだした」というんです。

 だから、私は毎回、お産を迎える女性に、わが家に似た環境を用意し、娘をすべて受け入れる母親のように接することを心がけます。

 3つ目は「産婦のすべてを受け入れる」

 お産の痛みから出る声、汗や涙、嘔吐、おしっこやうんち、そういったものをすべて受け入れ、女性が安心して「別世界」に行き、母親になることを手助けする。

 難事業を終えたら、あとは乾杯です。その日、助産所にいるほかの母親や助産師が集って、新しい仲間を祝福します。

 乾杯といえば、一昨年の暮れ、私が開業当初に自宅分娩の介助をして、3人目の子どもを産んだお母さんから、17年ぶりにひょっこり手紙が来ました。

 あけてみると、1枚のビール券が入っていました。

 そのお母さんはその後、夫と別居し、自立のために助産師を目指されましたが、今は千葉県で看護師をされているとのことでした。

 手紙には、離婚が成立したこと、3人の子育てが一息ついたことが記されていました。何よりもうれしかったのは、自宅分娩したときの女性としての喜びをずっと大事に生きてきた、と書かれていたことでした。

 彼女はようやく生活に余裕ができ、晩酌をしていたときに、自身の看護師の生活と重ね合わせ「矢島さんも大変だろうな」と、ふと私のことを思いだし、晩酌を酌み交わすかわりに、1枚のビール券を送ってくれたのです。

 助産師冥利(みょうり)につきると思いました。

 今まで私を育ててくれたのは、そのお母さんたち。私はそのかかわりを大事にしています。助産所では年1回、情報紙も発行し、2200部をここでお子さんを産んだ全国各地のお母さんたちに送り続けています。

 その母親たちの気持ちを代表するものとして、くだんのビール券をリビングに神社のお札のように飾っています。

                   ◇

【プロフィル】矢島床子

 やじま・ゆかこ 昭和20年岐阜県生まれ。日本赤十字社助産婦学校を卒業。赤十字産院(現・日赤医療センター)などを経て、ラマーズ法を学ぶ。昭和62年に開業。3年後、東京都国分寺市に「母と子のサロン 矢島助産院」をオープン。この間、2男1女を出産。著作に「助産婦・矢島床子」(実業之日本社)、「フィーリング・バース−心と体で感じるお産」(バジリコ株式会社)。

(2007/03/08)

 

論説

 

 
 
Copyright © 2007 SANKEI DIGITAL INC. All rights reserved.