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こころみ学園 園長 川田昇さん(86)

 ■「働くことで子供は育つ」 知的障害の人々と半世紀 ともに切り開いたブドウ畑

 国産ワインが注目を集めていますが、栃木県足利市にある人気ワイナリー「ココ・ファーム・ワイナリー」で使っているブドウは、併設する「こころみ学園」に暮らす知的障害や自閉症の人たちが、丹精込めて栽培したものです。「働くことで子供は育つ」を信念に、半世紀にわたって、ともに汗を流してきた川田昇園長に、ブドウ畑に託した思いを聞きました。(中川真)

 頭で食えないなら、体で食えるようになればいいじゃないか。

 中学校の特殊学級で教員をしていた約50年前、そんな思いで山の開墾を始めました。いま、ワイナリーの前に広がっているブドウ畑は、子供たちと2年間かけて、山林を切り開き、苗木を植えて始めたものです。

 35度超の急傾斜で石だらけ。「植林に不向き」ということで、格安で買えました。ここで、やせた土地の方が適しているキャンベル、デラウェアなどのブドウ作りと、伐採した原木を生かしたシイタケ栽培を続けてきました。

 知的障害の子供たちに愛着を感じるようになったのは、貧しい農家に育った私自身、農業の手伝いばかりで、勉強と縁遠かったからだと思います。3歳のころから酒の味を覚え、「だからノボはバカなんだ」と言われたりもしました。

 そんな経験もあって、私はまず、学校から2キロ離れた渡良瀬川の河川敷に、特殊学級の子供たちを連れて行き、サツマイモやトウモロコシの栽培を始めました。昭和30年ごろの教育委員会はまだおおらかで、「子供に応じた指導を」という姿勢でしたからね。

 多いときは30人以上の子供が参加しました。勉強嫌いで机に座っていたくないから、みんな精を出しました。重労働を我慢し、汗を流す「作業学習」によって、集中力を高めていくのです。

 ところが、河川敷ですから大雨が降ると、せっかく作った野菜が流されてしまう。そこで、学校から5キロ離れたこの山を、開墾することにしました。

 不安定な急斜面での作業には、脳がつかさどるさまざまな感覚を高める効果もあるのです。バランス感覚に欠ける知的障害の子供は、山を一気に登っていくものの、降りるのは恐怖です。それでも、繰り返すことで、原木を担いで下山できるようになりました。

 雨風をしのぐために病院の廃材をもらって掘っ立て小屋を作り、ブドウが実るようになると、収穫が最盛期になる夏休みには“合宿”と称して泊まり込んだりしました。畑は西向きで昼夜の寒暖差が激しいので、おいしいブドウがたくさんとれて、よく売れました。

                   ◇

 教員を続けながら、こうした活動をするのが難しくなり、昭和44年に私は公職を退き、「こころみ学園」を作りました。どうしても社会に出られない子供たちも、この畑なら、何らかの仕事ができますからね。

 私は、子供の成長には、果物作りが最も向いていると思います。収穫は年1度。そのまま食べられるから、やってきたことの意味が実感できるし、次への意欲も沸いてきます。

 父母らの出資を得て、ワイナリーを作ることにしたのは、はっきり言って、格好いいからです。「バカにされてきた子供たちも、胸をはって歩ける」と思いました。

 ワインづくりを始めたことで、子供たちの仕事も増えました。醸造は米国人の専門家らに任せていますが、ブドウの運搬や破砕、びんづめやラベルはり、タンクの清掃など、多くの作業に参加しています。

 平成12年、「九州・沖縄サミット」の晩餐(ばんさん)会にうちのワインが採用されました。準備にあたった小渕恵三元首相が「乾杯には日本のワインを」と発案。目隠しのテイスティングで選ばれたのです。

 テレビ中継の画面にボトルが映ると、子供たちは「NOVOだ」とワインの名前を叫び、森喜朗元首相が杯を上げると、大歓声が上がりました。

 でも、ワイン作りは緒についたばかり。温暖化で冷涼な長野や北海道のブドウが注目され、新感覚の作り手も増えています。この地で手を抜かずに、もっといいワインを作りたいですね。

                   ◇

 開園当時、平均19歳だった子供たちの多くは、学園で歳月を重ね、現在は平均50歳。ここで亡くなった人もいます。

 食事や居住環境への配慮が一層、重要になっています。これからは山の上り下りがしやすい道や、ゆっくり腰を下ろせるベンチも必要です。

 知的障害者に対する施策は昔よりも良くなりましたが、世間の偏見は、まだ根深くあります。会社の仕事が複雑になり、効率性を求められる中で、子供たちの仕事もなくなっています。

 だからこそ、ある程度の保護をしながらできる仕事を、積極的に開拓していかなければならないと思います。

                   ◇

【プロフィル】川田昇

 かわだ・のぼる 大正9年、栃木県佐野市生まれ。師範学校を卒業後、小学校教員、兵役を経て、戦後は中学校で特殊学級の担任、千葉県立袖ケ浦福祉センター施設長などを務める。昭和44年に知的障害者厚生施設「こころみ学園」、55年に「ココ・ファーム・ワイナリー」を設立。平成元年には米国・ソノマでワイン用ブドウの栽培を始める。

(2007/03/16)

 

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