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作家・大庭みな子さんの夫、大庭利雄さん(上) 

天気のよい日はみな子さん(左)を車いすで散歩に連れ出すという利雄さん(撮影・瀧誠四郎)


 ■脳出血で倒れた妻/退院間近に脳梗塞/リハビリ悪戦苦闘

 芥川賞をはじめ谷崎潤一郎賞や野間文芸賞など数々の賞に輝いた作家の大庭みな子さん(76)が倒れたのはまだ60代半ばでした。以来、11年にわたってみな子さんを介護し続ける夫、利雄さん(77)に話を聞きました。(聞き手 永栄朋子)

 みな子が倒れたのは平成8年7月のことです。朝食後、突然、隣の部屋からわめき声が聞こえ、駆けつけると、みな子が「頭が痛い。世界中が回る」と激しく吐きながら、床の上をのたうちまわっていたのです。

 救急車で病院に運び、検査を受けると、小脳付近で広範囲に出血していることが分かりました。「歩いてこの病院を出るか、最悪の状態で出るか五分五分」と言われる状況でした。

 しかし、手術を受けたみな子は、驚くほど早く意識が回復しました。

 一方で自分が外国にいると思い込んだり、私に「利雄を呼んできて」と言うような意識の混乱がありました。

 「利雄を呼んできて」が始まると、「呼んでくるよ」と部屋を出て、「はい。本物の利雄がきましたよ」とやるんです。すると、みな子も「あらトシ」となりますので。みな子は普段、私を「トシ」と呼びまして。私の姿が見えないと「トシ、トシ」と大声で呼ぶので有名になってしまいました。こうした症状は1〜2年続きました。認知症の人の介護の大変さを感じましたね。

 みな子は自分の居場所などは支離滅裂でしたが、読んで聞かせた本の内容はきちんと頭に入っており、驚かされました。当時、芥川賞などの選考委員を務めておりましたが、主催者から意見を求められると、実に的確に答えるのです。これは私にとっては、大きな希望でした。

 倒れて2カ月目になると、みな子は私が寄り添えば廊下を歩くことができるほどに回復しました。

                  ■□■ 

 ところが、あれは9月20日でしたか。「明日にでも退院の相談を」と言われたまさにその「明日」に、今度は脳梗塞(こうそく)を起こしたのです。左半身がまひし、一生、車椅子(いす)の生活だろうと言われました。リハビリも始まり、希望の光が見え始めた矢先だっただけに、一番ショックでした。

 みな子が寂しがるので私は毎日、病院に通いました。道すがら、うれしそうに話しながら歩く人たちにすれ違ったりすると、今でもそうですが「どうしてそんなに楽しいの?」と、聞きたくなってしまうんです。

 まるで、彼らの楽しそうな姿や声は別世界のもので、私たち夫婦だけが全く違う世界に落ち込んでしまったような、そんな錯覚に陥るのです。

 私自身、腰痛や狭心症の持病を抱えており、みな子の入院中、同じ病院で心臓の血管を広げる手術を受けました。この手術は、すでにそれまでの3年間で9回受けていました。

 11月でしたか、病院へ向かいながら、今後のことを考えあぐねてしまいましてね。いつまでこの状態が続くのだろうと。でも、ふと「そうだ、みな子と一緒に死ねばいいんだ」と思ったら、気が楽になったんです。

 もちろん、心中という意味ではありません。私には環境問題の本を書くなどの夢がありましたが、そうした望みを捨てて、彼女のために生きればいいと。同時に、彼女が亡くなるまで自分が先に死ぬわけにはいかないとも思いました。

                  ■□■

 どの部分で梗塞が起こったかによって、リハビリの効果も左右されるそうですね。医師の友人たちには「リハビリはあきらめなさい」とアドバイスされました。しかし、家族としてはわらにもすがりたい気持ちがあります。

 12月に退院したみな子は、翌年1月に千葉県にあるリハビリセンターに再入院しました。

 ところがみな子は、ジグソーパズルや風船バレーボールに「なんでこんなことしなきゃならないの」と文句ばかり。

 「芸術家と学者はリハビリにもっとも適さぬ人種」と聞きますが、みな子もなんとかリハビリをサボろうとしました。作家だけに、やりたくないことを正当に意味づけして拒絶するのが上手なんです(笑)。

 リハビリについては悩みました。なんとかよくなってほしいと思う一方で、効果が期待できないといわれる中、本人につらい思いをさせてまで受けさせるのが、本当に良いことなのだろうかと。

 こんな具合で、私の11年にわたる介護生活は始まったのです。

                   ◇

【プロフィル】大庭利雄

 おおば・としお 昭和4年生まれ。東大工学部卒。20歳のときに、学生だったみな子さんと出会う。パルプ会社に勤務し、30歳からの11年間を、みな子さん、娘とアラスカで過ごす。54歳で早期退職。みな子さんの秘書役を務める。著書に「終わりの蜜月 大庭みな子の介護日誌」(新潮社)など。

(2007/05/03)

 

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