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タレント・坂上二郎さん(73)

タレント 坂上二郎さん(撮影・赤穂美樹)


タレント・坂上二郎さん(QuickTime)
タレント・坂上二郎さん(Windows Media Player)

 ■脳梗塞でつらい後遺症 大豆55粒使いリハビリ 欽ちゃんにも励まされ

 お笑いコンビ「コント55号」として、萩本欽一さんと一世を風靡(ふうび)したタレント、坂上二郎さん(73)は平成15年、脳梗塞(こうそく)にかかりました。左腕がきかず、ボタンもはめられないないなどの後遺症に悩まされ、一時は引退も考えました。そんな坂上さんを支えたのは周囲の励ましや、目標を持って治ろうという自らの気力でした。(聞き手 柳原一哉)

 脳梗塞が起きたのは、埼玉県のゴルフ場にいたときのことでした。6番ホールで、ボールを前に両手で握っているはずのクラブをなかなか振れない。なぜ振れないか、自分でも分からなかった。

 「動かないで」。ゴルフ仲間が突然、そう叫びました。一緒にコースを回っていたのが自宅近くの病院の院長で、だらんとした私の左腕を見て異変に気づき、すぐにその場に私を寝かせました。

 しかし、周囲で「倒れた、倒れた」という声が聞こえても、私自身は痛みもないので、「だれが倒れたのか」と思っていたほどです。救急車で病院へ運ばれる間も会話ができていました。

 私が打つはずだったゴルフボールがたまたま、一緒にいた仲間の医師らの前にあったこと。みんなから見えるところでクラブを振ろうとして、異変を見つけてもらえたこと。そして病院に運ばれて、すぐに治療が始まったこと。それらすべてが、不幸中の幸いだったと思います。

                  ■□■

 ただ、入院から1週間は、ほとんど意識がもうろうとしていました。CT(コンピューター断層撮影法)でも頭にカゲが映っており、身体の左側に後遺症が出ました。脳梗塞が起きた場所が右側だったからだそうです。

 特に左腕がスムーズに動かず、感覚がありませんでした。退院してからも、外出中に左腕にしていた腕時計を2度も落としましたが、いずれも気づかなかった。また、カラオケのマイクも、左手ではうまく持てませんでした。

 リハビリでは、コント55号にちなんで55粒の大豆をつまんでは移す、つまんでは移すという作業をやりました。「ひとつ、ふたつ」と声を出しながらね。しかし、これがなかなかうまくできない。イライラして、つきあってくれた妻にあたったりしました。

 顔の左側もまひがあり、口の左端から食べ物がぼろぼろとこぼれました。また、当初はろれつも回らず、うまく話せなかった。実は自分では普段通り、話していると思っていたのですが、妻が録音してくれたテープを聞くと、確かにろれつが回っていませんでした。

 歌が好きなのに、カラオケもうまく歌えない。だから、後に声楽のレッスンも受けましたし、早口言葉や基本的な発声練習もこなしました。

 次第に回復し、両手でポーズをつける「飛びます、飛びます」という、いつものギャグも、なんとか両手でできるようになりました。私のCT画像を見たリハビリの専門家は「よく、ここまで回復しましたね」と言ったほどですよ。

                  □■□

 そんなふうにがんばってこられたのは周囲のおかげ。いろんな人に支えられましたが、ずっとリハビリにつきあってくれた妻は心労から倒れそうになったこともあります。

 友人のタレント、牧伸二さんは「心に太陽を」と書いた額を贈ってくれました。それが、病院のベッド正面にかかっていて、起きると目に入る。「そうだ、がんばろう」という気になれたんです。

 励まされ、自分でも目標を持って「早く治すぞ」という気力を持つ。そうでなければなかなか回復できなかったでしょう。私の場合、倒れた翌年の6月に予定されていた明治座でのコント55号の公演を成功させるという目標がありました。

 欽ちゃん(萩本欽一さん)は「車いすでもいいから出てきてくれ」とは言っても、「無理するな」とは言わなかったんですよ。「車いすでも…」というのは、舞台を一緒にやろうよ、っていう欽ちゃんの励ましの言葉なんですね。

 その明治座の公演を乗り切ったことで自信が持てました。お客さんのエネルギーをたくさんもらったのかなあ。

 これから夏にかけ、全国での講演が活発になります。聞きに来てくれる人は高齢の人が多いので、病気のことを話したり、持ち歌「学校の先生」を歌ったり…。明るい講演会ですね。幸い、「二郎さんに勇気づけられた、元気になれた」と、評判なんですよ。

                   ◇

【プロフィル】坂上二郎

 さかがみ・じろう 昭和9年4月生まれ、73歳。タレントの萩本欽一さんとともに、お笑いコンビ「コント55号」を結成、コメディアンとして人気を博した。俳優としてもテレビドラマ「夜明けの刑事」などに出演。平成15年、ゴルフ中に脳梗塞で倒れたが、リハビリにより回復を遂げ、舞台などに復帰している。

(2007/05/11)

 

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