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映画監督・羽田澄子さん(81)

映画監督 羽田澄子さん(撮影・飯田英男)


 ■臆病な母の入院断る/重要判断すべて自分で/看取った穏やかな顔

 映画監督の羽田澄子さん(81)は最新作「終りよければすべてよし」を「終末期の問題を論議するのに、いま必要な映画」と、急いで作ったといいます。自身が母親を自宅で看取(みと)ったのは10年前。この間に看取りの環境はずいぶん変わりましたが、誰もがよい終わりを迎える条件整備はまだまだです。(聞き手 佐藤好美)

 母は平成9年、90歳で亡くなりました。

 とにかく病院が嫌いなので、だまして(笑)連れて行ったんです。ひどい貧血で入院し、胃がんだと分かりました。もう年なので、手術は無理で、「噴門部のがんが大きくなると、食事が通らなくなります」と言われました。亡くなる1年3カ月前でした。

 でも、貧血の治療をしたら、10カ月くらいは元気で。それが急に食べられなくなり、12日ほど検査で入院したのが良くなかった。ひとりでトイレもできたのが、オムツをあてられ、点滴の際に腕や足をしばられて。それからすごく、精神的に不安定になりました。

 病院で「このままだと、半年は無理です。入院して経管栄養にしませんか」と言われました。即刻、断りました。母は臆病(おくびょう)な人でしたし、いよいよ通らなくなったら、その時に考えようと。

 人がいないと声を上げるなど、不安定になったのが、帰っても戻らなかった。それからは24時間、誰かがつきっきりでした。

                   ◇

 母を連れ帰ったのは、妹をそれより四半世紀も前のことになりますが、病院で看取った経験があったからです。母にはあんな思いはさせたくなかった。

 妹はがんが腹膜に転移して見つかり、42歳で亡くなりました。当時は医学がすごく進歩していく印象のある時代でした。

 ところが、妹が「痛い、痛い」と言っても、時間が来ないと、モルヒネは打ってもらえない。「あと3カ月」の患者の痛みを取ってくれないのって、何を考えているんだろうと思いました。

 いよいよのとき、お医者さんを呼んだら、どやどやとやってきて、「皆さん、ちょっと病室から出てください」と。鼻の経管栄養のチューブがぴゅーっと引き抜かれ、医者がベッドに飛び乗って妹の胸をマッサージし始めました。ベッドがきしんで、やせた妹の体がつぶれそうでした。

 「お入りください」と、言われたときには身繕いも済み、「亡くなられました」と。なんて、ひどいことするんだろうと思いました。1分でも長く生かそうとしたんでしょうが、生かすために、妹にずいぶん苦しい思いをさせてしまいました。私は最期のときは本当に、手を取ってやりたかったですよ。

                   ◇

 経管栄養を断って、母を連れ帰ったものの、重要な判断を全部、私がしなければならなかったのは大変でした。

 近所の医師は、便秘が続くなどで、「来てください」というと、すぐ往診してくれる。「液体栄養にしたらどうですか」と、アドバイスもくれる。でも、「自宅で点滴はやりません」と。そう言われると、必要かどうかも聞けない。

 私は経管栄養はいやだけれど、食がどんどん細くなると、ここで点滴はした方がいいんじゃないかと思う。

 訪問ナースに聞いたら、「立場上、言えない」と。でも、ほかのお医者さんの情報などで「この状態で点滴をすると、延命にはなるけど、症状はよくならない」と教えてくれて、ああ、点滴はやめようと。

 でも、お医者さんは来てくれるだけでありがたかった。来てくれなければ、入院しかなかったわけですから。今と、様子が違うでしょうね。

 夜の付き添いのため、派出婦会の人にも来てもらっていました。その人が何度も看取りを経験した人で、「こういう状態になると、こうなる」と、だいたい分かる。2人で情報交換して現状を把握しました。

 亡くなる2週間くらい前には、水も少しずつしか飲まなくなっていました。1週間ほど前には、派出婦会の人が母の足のむくみを見て、「この状態だと、近いですよ」って。前日も「危ないですよ」。当日は朝から「もう、ちょっと…」って。

 母はもう話はできませんでしたが、「苦しくない?」って聞くと、「何ともない」って意思表示をする。夫と私と彼女と、3人で看ている時に亡くなりました。苦しそうだったみけんの緊張感が本当にさーっと引いて、穏やかになっていきました。

 母は亡くなるまで、誰かがそばにいて…。夫はおしゃべりなので、看護の時も返事はなくても、なんだかんだと話しかけていました。きっと、母はさびしくなかったと思います。

                   ◇

【プロフィル】羽田澄子

 はねだ・すみこ 大正15年、大連生まれ。映画監督。作品に「痴呆性老人の世界」「安心して老いるために」など。オーストラリア、スウェーデン、日本の先進的な終末期医療を撮った「終りよければすべてよし」は2日から、東京都千代田区の岩波ホールで公開。

(2007/06/01)

 

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