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高野英一さん(60)(上)

高野英一さん


 ■退職仲間とワイン会社起業

 ■両親の介護きっかけ 女房の反対振り切り ゼロからブドウ栽培

 55歳で東京電力を退職した山梨県甲州市の高野英一さん(60)は、仲間と荒れた休耕地を開拓。“ゼロ”からブドウ栽培を始め、いまでは立派なワインを売り出すまでになりました。高野さんが関連会社への出向を避け、新しい道を決断したきっかけは、両親の介護と看取(みと)りでした。甲府盆地の東端、南アルプスを見渡す勝沼・鳥居平(とりいびら)の高台で思いを聞きました。(中川真)

 私が生まれ育った勝沼でも、畑がある鳥居平は海抜400メートルを超え、いいブドウがとれる一等地です。しかし、農家の後継者不足で、年ごとに草ぼうぼうの荒れ地も目立っています。

 大げさに言えば、勝沼は人生の糧を与えてくれた地。農業の経験はなかったものの、「自分たちが何とかしなきゃいけない」との思いで、取り組んできました。

 まず、東電在勤中の平成13年、会社の事業提案制度に応募しました。ワイン用に絞ったブドウの皮で、イタリアの「グラッパ」のような蒸留酒を造り、このカスと、電柱にかかるために、東電が切っている「支障木」を合わせ、有機肥料にするプランでした。

 甲州ブドウの需要を拡大し、エコにも貢献できるという発想で、本社の最終提案に残りました。しかし、管理職だった私は、翌年に55歳の定年を迎えることになっており、結局、このときは計画を撤回したのです。

 翌年、同期の仲間はほとんど、関連会社に行く道を選びました。そうすれば、60歳過ぎまで働くことができ、将来の心配もありません。でも、私はスパッと辞めました。自分でブドウの蒸留酒の仕事をするためです。

 今は私たちの会社「東夢」の社長になり、一緒に農作業に汗を流す先輩の田中幹雄さん(66)が「計画を立てたのに、途中でやめるのはもったいない。オレも手伝う」と言ってくれたことも、後押しになりました。

 何かを始めるなら、60歳じゃ少し遅い、今しかないと。「第二の人生」なんてないと思います。人はいつ死ぬか分からない。いつでも「ロスタイム」に臨む気持ちじゃないといけないと考えたんです。こう思い至ったのは、あのころ、両親の介護を経験したためだと思います。

                   ◇

 私が52歳のとき、母は84歳で亡くなりましたが、80歳を過ぎて認知症がひどくなりました。

 母がいれるお茶の味が変なので、調べてみると、のりのつくだ煮が入っていたり、父が顔を血だらけにしていたので、「どうした」と聞くと、「おっかあに殴られた」。そんなことが重なりました。

 夜トイレに行ったまま、いなくなり、探しに行こうと車のエンジンをかけたら、ライトの前に母が飛び出してきたこともありました。

 主治医に、「あなたは長男だから『看取る責任がある』と思うでしょう。でも、家族はちゃんとしていたころを知っているから、『何でそんなことをするの』ときつく言ってしまう。お母さんにとっては不幸です」と指摘され、施設に入れる決心をしました。

 しかし、施設も万全ではありません。最初の施設は、面会に行っても、すぐには会えず、母の手首には、内出血の跡がありました。母は「何でもねえよ」と言っていましたが、そんなはずはありません。でも、証拠もなく、施設側を問いただせませんでした。

 母の経験から、認知症や寝たきりの介護は、在宅でも施設でも限界があると痛感しました。そして、将来の自分の「死にざま」とでも言うんでしょうか、人生の終末をどう迎えるのか、いま何をすべきかを、考えるようになったんです。

                   ◇

 退職後、ブドウの蒸留酒造りに挑むだけでなく、自分たちで畑をやろうと方向転換したのは、農地の荒廃を自ら食い止めたい、と思ったからです。田中さん以外にも、「手は出せないけど、金は出すよ」と言ってくれた先輩、同僚もいましたから。

 ブドウ畑、ワイナリーを作り、元気なうちはそこで働く。そして、体が動かなくなったときのために、仲間同士で支え合うグループホームをつくろうという構想が、徐々に固まっていきました。

 新しいことをやろうと思えば、どうしても仲間が必要だし、老後のことを真剣に考えれば、国の制度よりも仲間の方がずっと信頼できる。先輩を看取り、後輩に看取ってもらうというわけです。

 関連会社に行かず、退職金で畑をやる計画に、女房は猛反対でしたが、形にしてみせないと理解してもらえないと思い、文句は無視して、計画を進めました。

                   ◇

【プロフィル】高野英一

 たかの・えいいち 昭和22年、山梨県勝沼町(現・甲州市)生まれ。県立日川高の野球部で投手を務め、県大会で甲府商の堀内恒夫・前巨人監督と投げ合った。41年、東京電力山梨支店に入社。経理、人事などを担当し、平成14年に退社。仲間と「東夢(とうむ)」を設立。ブドウづくりを始める。同社取締役。

(2007/06/07)

 

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