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アナウンサー・山川静夫さん(74)(上) 

アナウンサー 山川静夫さん


 ■脳梗塞で倒れ失語症に 特効薬で一命とりとめ 新人用読本でリハビリ

 めがねがトレードマークのアナウンサーで、NHK紅白歌合戦の往年の白組司会といえば、山川静夫さん(74)。その山川さんが退職後、脳梗塞(こうそく)にかかりました。幸い生命に別条はありませんでしたが、失語症が残りました。生業にしてきた言葉の世界への復帰を目指し、山川さんは新人アナウンサーのような練習法を採り入れ、懸命のリハビリを続けました。(聞き手 柳原一哉)

 退職後に始めた仕事が波に乗っていた平成12年。当時は、三越劇場(東京・日本橋)での舞台「山川静夫名人劇場」が一番の目玉。それからJR東日本の新幹線車内誌『トランヴェール』の連載。これは執筆ですね。

 「山川静夫の華麗なる招待席」(NHK−BS)はテレビ。この3本柱に加え、その年は毎月3回の講演会が年末まで予定されていました。しかしその初っぱな、予定がすべてだめになったのです。

 前年の暮れからほぼ毎晩、忘年会と新年会で飲み歩く毎日。いやおうなしに(飲み会に)巻き込まれちゃうんだね。ようやく一息ついた1月16日の夜。家族で鍋を囲んで、ごろんと横になってひじ枕をしようとすると力が入らない。

 「何だろう」と思っていると、ろれつが回らなくなってきた。家内が脳の病気と直感し、動かしてはいけないと体の上に乗っかかって…。やめてくれと声を出そうとしても、うめき声だけ。重くて重くて、それが一番つらかったね(笑)。今だから笑えるけど。

 家内が私の知人の医師に連絡を取ると「救急車を呼べ」というので、東京都立病院に運ばれました。意識ははっきりしていました。どれくらいしっかりしているか確かめようと、歌舞伎の「三人吉三」のせりふを口に出すと、「月もおぼろに白魚のかがりもかすむ春の空」と出てくる。

 周りはその言葉を理解できなかったんじゃないかと思うけれど、本人はしっかり言えるから、「これは助かるぞ」と思いましたね。

 ところが病院で処置をして、しばらくすると、言葉が出ないのを自覚するようになりました。失語症の始まりでした。

                  □■□

 命が助かったのは、運が良かったんですね。家族がいたからすぐに救急車で運ばれました。当直医が神経内科医で、脳梗塞に詳しく、認可前だった血栓溶解剤を使おうと言ってくれました。発症から3時間以内の使用で効果がある特効薬です。すぐに病院に担ぎ込まれたので条件があっていました。それを使えて本当にラッキーでしたね。

 しかし翌日、脳梗塞に加えて失語症という診断が下りました。アナウンサーという仕事をしてきた私にとって、「失語」という言葉は胸に突き刺さる響きがありました。

 体のまひはありませんでしたが、話すのが不自由で、リハビリを始めました。家内に頼んで取り寄せたのは、新人アナウンサー向けの「アナウンス読本」。

 これを使ってテープレコーダーに録音した声を聞くと、舌がもつれていて「何だ、これ」と思うようなひどいものでした。「ア、エ、イ、ウ、エ、オ、ア、オ」と新人アナのように何度も練習しましたね。

 話そうとする内容は頭にはあっても、ふさわしい言葉がなかなか出ない。「あ、あの、えー」と言葉を探していると、話すのが遅れてしまう。考えるのと同時にすぐ言葉になる、その瞬発力がなかった。

 読む方も、新聞などは目で字を追うことしかできません。3行先を見て文意をつかむ読み方ができない。言葉一つひとつを理解するので精いっぱいでした。

 アナウンサーとして野球放送をしていたときは、目の前で起こっていることを見ながら早口で描写しますよね。「ピッチャー投げた、ランナー走った、3塁捕ってアウッツ!」というふうに。そう思うと、人間の言語能力というのはすごいものなんだなあと思いましたね。病気になって初めて気づきました。

                  □■□

 私はアナウンサーとして、野球中継のように普通の人なら難しいことをやり遂げてきたのです。だから可能な限り回復させることができるはずだと思いました。

 新聞を目で読む、声に出す、字を頭に焼き付けるという訓練を心がける。テレビのスポーツ中継を即時描写してみる、日記を書く、趣味の歌舞伎のことを周囲に話す…。そうした練習を地道に続けていくことにしました。もうやるしかありません。

 脳梗塞の治療は一段落し、2月下旬に退院できました。失語症はまだまだリハビリを続ける必要がありましたが、退院してから続けるつもりでね。

 でも、すぐに同じ病院に舞い戻ることになるとは、そのときは思いも寄らなかったのです。

                   ◇

【プロフィル】山川静夫

 やまかわ・しずお 昭和8年、静岡市生まれ。東京都在住。国学院大学文学部卒業後、昭和31年にNHK入りしアナウンサーに。「ひるのプレゼント」「ウルトラアイ」などを担当。9年連続で紅白歌合戦の白組の司会を務めた。退職後はフリー、エッセイストとして活躍。文楽や歌舞伎に造詣が深く、『綱大夫四季』など、著書多数。『名手名言』で日本エッセイストクラブ賞受賞。愛用のめがねは「もはや顔の一部です」。

(2007/06/21)

 

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