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アナウンサー・山川静夫さん(74)(下)

アナウンサーの山川静夫さん (撮影・矢島康弘)


 ■失語症、心不全、腸閉塞 「いつか復帰」を目標に乗り切って“三”病息災 

 脳梗塞(こうそく)、失語症にかかったアナウンサーの山川静夫さん(74)は退院直後に心不全、その後に腸閉塞(へいそく)に相次いでかかり、再入院を余儀なくされました。言葉が不完全な中での闘病でしたが、長年の友人である文楽人形遣い、吉田簑助さんとの文通を励みに、乗り越えてきました。いつかは復帰したいという気力が支えになったと話します。(聞き手 柳原一哉)

 失語症は日ごろの訓練が大切ということで、入院から1カ月少したった平成12年2月下旬に退院しました。ところがその3日後に同じ病院に逆戻りしました。心不全でした。

 退院間近から心臓がドキドキし、よく眠れない。でも早く失語症を治し、仕事を再開したい気持ちが先走りしました。それがよくなかったのですね。退院後、歩くだけでもつらい。「ドキドキ」は治らない。

 そこで同じ病院で受診すると心不全で、心臓には水がたまっていました。再入院し、電気ショックなどの治療で治しました。心不全といえば、新聞の訃報(ふほう)欄でもよくみる死因ですよね。当初は、もう終わりだと思いましたなあ。

 4月に退院。ところが今度は5月に、便もガスも出ず、おなかが痛くてたまらなくなった。同じ都立病院にかかると、腸閉塞と腸の腫瘍(しゅよう)と分かり、また手術です。「もう運が尽きた」と、このときばかりは思いました。

 神主だった父はいつも息子の健康を祈り続けてくれていました。私も台本があれば神棚に供えて祈ったりして、これまでやってこられたのです。3度も大病を負いながら生きていられるのは、人の力を超えた何かなのではと思うほどです。

               ■ □ ■

 心不全と腸閉塞と闘病しながら、失語症のリハビリをしなければなりませんでした。困難な状況の中で、良くなっていったのは仕事に戻りたいという強い気力でした。

 もっとも簡単に良くなったのではありません。脳の病気は気力をなえさせました。活力がわかず、ヘナヘナ。新聞も並ぶ字をぼんやり見るだけで、読めない。差し入れの本もそうです。リハビリの先生が出す問題はやる気になれないことが多かったですね。言葉に接することに疲れて、いやになるのです。

 しかし「どうでもいいや」と思うとそこまでで、何とか気力を奮い立たせるしかありません。そのため目標を掲げ、活力を自分自身に与えました。「すし屋でトロとかイカとか食べたいなあ」などと治ったあかつきにはこれができる、これがしたいと。そういう欲を支えにしました。すしが大好物なんです。

 特に失語症の私がテレビやステージで人前で話せるようになることは高いハードルでした。だから「テレビにもう一度出てやるぞ」という目標を掲げ、やり遂げようと、気力を奮い立たせてきましたね。

 病気はちょうど綱引きのようなもので、ちょっと気を緩めると暗い穴蔵に引きずり込まれてしまう。油断せず、地道な努力を絶えさせない。そうして踏みとどまり、失語症も克服できてきました。

               ■ □ ■

 病気の克服には、文楽人形遣いの人間国宝、吉田簑助さんの存在が大きかったですね。長年の友人です。

 簑助さんは脳出血で倒れ、失語症や身体機能の回復のためのリハビリに努めていました。「足遣いでもいいからもう一度舞台に復帰したい」と願ってね。手の感覚が戻るようにと握り続けたボールには「足」と書かれていたほどでした。

 私もあきらめず、再び言葉を取り戻し、テレビやステージに戻りたいと願いました。手紙のやり取りをして、互いに励ましあったものです。その文通がいいリハビリになったんだと思いますね。

 NHK時代から健康に自信があり、過食、深酒、午前様でしたが、退職後に一層不摂生に。決まった出勤時間がなくなり不規則になったからです。軽い糖尿も指摘されていましたが、まだ大丈夫だとたかをくくっていたのです。

 その結果としての病です。人間って帳尻があうようになっているんだなあって思いますね。まさに座右の銘である「人は出入り」なのです。

 “三”病息災ですが、今は、ちびりちびりとお酒を飲むようになりました。コップ1杯のビールと1合のお酒を家内と2人でね。がっぽ、がっぽと飲んでいた病気になる前よりも、100倍うまい酒になりましたよ(笑)。

(2007/06/22)

 

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