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タレント・山口美江さん(46)(上)

山口美江さん


 80年代後半から90年代にかけて、英語も堪能な知性派タレントとして人気を集めた山口美江さん(46)。今は横浜中華街で輸入雑貨店を経営しています。その山口さんが、昨年76歳で亡くなった父、俊雄さんの介護体験を話してくれました。アルツハイマー病で日増しに認知症が進み、深夜に徘徊(はいかい)を繰り返す父を、かつての“箱入り娘”はひとりで、どのように見守ったのでしょうか。(聞き手 中川真)

                   ◇

 ■優しかった父に異変、日増しに進む物忘れ、そして決定的事件が

 私は横浜・元町の生まれで、ドイツ系のクオーターの父は、おじと貿易の仕事をしていました。母は私が16歳のとき、急性白血病で発症3日後に亡くなりました。私は一人っ子でしたから、その後は、一昨年末、父の痴呆(ちほう)が激しくなって入院するまで、ずっと2人だけで暮らしてきました。

 父は、私にとても優しかった。海外の取引先とテレタイプでやり取りするので、朝6時くらいに家を出ていましたが、早く帰ってくる生活でした。外国船に食料品を納める仕事もしており、食べ物や料理が好きでした。

 ですから、母が亡くなった後、食事はすべて父が作ってくれました。父の出勤後に私が起きると、テーブルにはヨーグルトやハムサラダ、パンなどが並んでいました。夕食も同様で、私は家で食べるときには「○」、外食なら「×」を紙に書き込むだけ。うちに来た友人に、鉄板焼きやパンケーキも振る舞ってくれました。

 私が大人になってからは、ワインを冷やして帰宅を待っていて、私も父が好きなピスタチオや、ハムやチーズを買って帰りました。父は16歳で日本に帰化するまで、マックスという名前だったので、「マックス・バーにようこそ」と迎えてくれましたね。

 でも、「人はこう生きるべきだ」と説く厳しい面もありました。連絡すれば許してもらえましたが、門限は40歳くらいまで夜12時。私と早く遊びたかったのか、5歳でゴルフを始めさせられました。レディースのクラブを短く切って、レッスンプロもつきました。

 父はおじたちと3ラウンドも回り、キャディーさんに煙たがられるほどのゴルフ好きでした。幼かった私にも、「クラブを持って走れ」と怒鳴るので、楽しくはありませんでしたね。

 母が早く亡くなったとはいえ、父とのそういう暮らしでしたから、嫌な思いをすることもなく、私は満たされていたと思います。

 私は大学卒業後、OLをしたり、フリーの通訳をしていましたが、オーディションを受け、ニュースのキャスター(テレビ朝日系で深夜放送していた『CNNヘッドライン』)になりました。27歳でしたから、遅咲きだったと思います。

                   ◇

 父は芸能界が嫌いで、私がタレントになるのも嫌だと言っていました。ところが、テレビに出るようになると、どんな番組でも全部ビデオに録画していました。ワイドショーまで、「山口美江、スキャンダルに陥る」ってタイトルをつけて残していて驚きました。

 実は父自身、結構出たがりでしたね。フジテレビ系の「笑っていいとも!」に出演したり、スキャンダルの取材で自宅に来た芸能記者の人にお茶を出して、ベラベラしゃべったり、という面もありました。

 私がお店を始めたときも、父は一緒に店舗を探してくれ、「ビジネスに大事なのは、タイミングだよ」とアドバイスしてくれました。しかし、小売りの経験がなかったからか、たまに店に顔を出しても、アクセサリーを探す女性に「どれも同じだよ」と言ったり、修学旅行生に「金がないなら帰りなさい」と言うなど、“暴言”ばかりでしたね。

 そんな父の異変に気付いたのは、5年ほど前。父は68歳で一線を退き、70代になっていました。以前は5分もあればできた計算に、1時間以上かかったり、親しい業者の方が来ても、名前を思いだせなかったり…。

                   ◇

 私は父を「計算の魔術師」と思っていましたので、とてもショックでした。「私なんか、最初から分からなかったんだから」と励ましましたが、もどかしさよりも、かわいそうという気持ちでいっぱいでした。

 当時、父は家に1日中いて、「何もやることがない」とぼやいていました。私は「好きなだけゴルフをやればいいじゃない」と勧めましたが、父は「仕事をした上でゴルフをやるから楽しいんだよ」と言っていました。

 私は「やることが増えるかな」と考え、犬を飼いましたが、父はかわいがるばかりで、引きこもりはさらに進んでしまいました。

 そして、3年前の9月のある早朝、決定打ともいえる事件が起きたんです。

                   ◇

【プロフィル】山口美江

 やまぐち・みえ 昭和35年横浜市生まれ。上智大を卒業後、外資系企業のOL生活を経て、ニュースキャスターに。当時、漬物のCM「しばづけ食べたい」で人気者となり、元祖バイリンギャルとして注目を集めた。10年前に横浜中華街に輸入雑貨の店を開いた。

(2007/07/05)

 

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