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タレント・山口美江さん(46)(下)

父、俊雄さん(右)が認知症になり始めたころに、山口美江さんと撮影したスナップ


 ■風邪薬94錠飲み徘徊 温厚な性格さえ変化 亡き母の分まで世話

 母亡き後、父、俊雄さんの寵愛(ちょうあい)を受け、2人で暮らしてきたタレントの山口美江さん。それだけに、5年ほど前から認知症が目立つようになった俊雄さんの介護も、「苦にはならなかった」と振り返ります。山口さんは壮絶な介護をどのように全うしたのでしょうか。(中川真)

 平成16年9月の早朝、物音がしたので外に出ると、父がビシッとスーツを着て掃き掃除をしていました。「どうしたの」と尋ねると、「名古屋に船が入ったんで、出張しなきゃならないんだ」。目はうつろで、ろれつが回らず、よだれを垂らしていました。

 一度は父を家に入れましたが、電話でおじに相談していたら、「ガチャン」という音とともに、父はどこかに行ってしまいました。初めての徘徊(はいかい)でした。それでも、父はその日の午後、予約していた中華街の針医さんに来ました。

 すごくオシャレなのに、ボサボサ髪で服の色も上下バラバラ。なぜか菓子パンをたくさん持ち、どこに行っていたか「分からない」と言うだけ。すぐにかかりつけのクリニックに行きましたが、父は「前の車のタイヤがとれた」「壁からネズミが出てきた」と言い出すのです。

 先生の指示で、そのまま専門病院に検査入院。私が帰宅して冷蔵庫を開けると、驚いたことに、野菜室に犬のふんが入っていたんです。しかも、薬棚にあった父の風邪薬を数えると、94錠も飲んでいたと分かりました。うつろな表情はそれが原因だったんです。

 数日後、主治医から初めて、「前頭葉がスカスカで、アルツハイマー病です」と告げられましたが、本人には伝えられませんでした。「5分前のことを忘れたり、いずれは人格も変わってしまいます」と言われても、半信半疑でした。何十年も一緒に暮らした歴史がありますし、私は「絶対大丈夫。この程度なら一生面倒をみられる」と思っていました。

                  ◆◇◆

 でも甘かったですね。1カ月後、父は退院。しばらくは落ち着いていましたが、一昨年5月から、ガタガタッと崩れて。ちょうど店のビルの建て替えで、「半年間ゆっくりできる」と喜んでいた矢先でした。

 父を24時間見守る生活が始まりました。一日中家にいるのはよくないと考え、毎日2、3時間、どこかに行くことにしました。足の刺激にもなりますしね。午前中に家を出て、近場の元町や中華街でお昼を食べ、夕食の買い物をして帰る−というパターン。父は理由がないと出かけないので、食事と食材の買い物を目的にしました。

 でも、父のもの忘れはひどくなり、5分前に中華街で買ったのに、「あっ、オイスターソースがある」と何度も買ってしまうんです。1日に6本買ったこともありました。

 幻覚で「火事だ」と言ったり、「医者が薬を横流ししてる」と、人を疑い出しました。否定すると、「何言ってるんだ」と声を荒らげて。温厚な人だったので、ショックでしたね。

 近くの八百屋さんで、「船に積むので、バナナ300キロお願いします」と注文したことも。私が説明すると、みなさん「ハイ、ハイ」と話を合わせてくれました。

                  ◆◇◆

 ショートステイも試みましたが、夜中に出かけようとするので、一度で断念しました。昼夜逆転は典型的な症状だそうで、所用で日課の外出をしなかった日は案の定、夜中に犬の散歩に行こうとしていました。

 そのうち、靴のまま家に入ったり、私のことも分からなくなってきました。食事中、「この夏は君と過ごせてよかった。結婚してください」と言い、おじに「親切なご婦人なんだ。責任をとらなきゃいけない」と相談するんですよ。

 認知症が進み、医師の指示で要介護認定をやり直してもらったところ、わずか1カ月で1だった要介護度は4になっていました。味覚もなくなり、酢のものにケチャップをかけたり…。性格が後ろ向きになるのが、一番つらかったですね。

 連夜の徘徊で警察に保護されたり、血だらけで見つかったりしました。私も父に扉で腕をはさまれたり…。もう限界と考え、11月22日に入院させました。

 入院の面接で、「飛行機で来ました」と答えた父は、私に「オレを売ったな」と言う現実的な面もありました。完全に“向こう”の人になり、楽になってほしい、と思いました。

 父は昨年9月、腸捻転(ねんてん)が悪化して亡くなりました。私はできる限りのことをしたと思うし、世の中の仕組みに初めて直面し、達成感はありました。16歳で母を亡くし、「早く病院に連れて行けばよかった」とずっと思っていたので、母の分も父にしてあげられたのではないかと思っています。

(2007/07/06)

 

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