■難病と闘った子供時代/松田聖子の歌に感銘/音大合格で過去封印
10年前、宮崎駿監督の映画「もののけ姫」の主題歌で一気に注目を集めた歌手、米良美一さん(36)は、ちょっとしたことで手足などの骨折を繰り返す「先天性骨形成不全症」という難病と闘いながら、子供時代を過ごしました。「1人で背負ってきた過去を明らかにして、身軽になりたい」と自伝を出版した米良さんに、当時の体験と、ハンディを克服した「心」を聞きました。(聞き手 中川真)
「この子は何時ももたないかもしれん」。ぼくは医師にそう言われて生まれました。足首から先があおむけに曲がり、頭も水痘症のように腫れて柔らかい状態でした。
物心がついたときから、両腕をつったり、片足が骨折していたり、ギプスをしていたり…。病気というよりも、「神様の罰(ばち)」だと思っていました。
生まれたのは宮崎県の山里。古代神話が息づく土地柄でした。お日さまに手を合わせて1日が始まり、風邪をひけば「水神様のたたりじゃ」と、井戸などの水場に焼酎などをささげる。神をおそれ、人間は日夜、謙虚に生きるという意識が染み込んでいる。
東国原英夫知事のおかげで、宮崎は活性化していますが、ぼくの知る宮崎は南国、トロピカルではなく、もっと重い。畏怖(いふ)畏敬(いけい)の地なんです。
幼いころは、いとこと一緒にふざけて走ると、すぐ骨が折れる。ちょっとでも子供らしくはしゃぐと、「ぼくには罰があたるんだ」と思っていました。
それでも、よくしゃべり、歌う、明るい子でした。二葉百合子さんの「岸壁の母」とか、演歌ばかりです。地域の宴会でも、大人たちの喝采(かっさい)を浴びて、楽しく歌っていました。芸事への目覚めだったと思います。
両親は肉体労働をしていて、家は豊かではありませんでした。いじめられたりもしました。しかし、両親は必死のやりくりで、難病だったぼくを育ててくれたんです。
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最初に打ち砕かれたぼくの夢は、ランドセルを背負って普通の小学校に通うことでした。ぼくは家から1時間以上離れた、寄宿舎のある養護学校に預けられ、途中3年間を除き、高校卒業まで周囲と遮断された環境で生活しました。
両親、特に母親と離れて不安でした。洗濯のにおいが残るガーゼを「お母さん」と感じ、手放せない時期もありました。
友だちはみんな重病人でした。1年生のとき、2人の級友がいましたが、1人は筋ジストロフィー、もう1人はネフローゼ。授業が終わると、渡り廊下を通って、2人は病棟へ、ぼくは寄宿舎に帰る暮らしでした。
寝たきりの時期もあったし、中学時代はほとんど車いす生活でした。特に、小6から中1にかけては、側彎(わん)症で背が曲がって動かず、寝返りも打てずに、節々に折れるような激痛が走りました。外出できない塀の中のような暮らし。むかついて仕方なかった。
それでも、この病気は思春期を過ぎると、症状が落ち着くといわれています。ぼくも15歳の骨折を最後に、ちゃんと歩けるようになりました。
そのころ、松田聖子さんの歌をきっかけに、音楽に関心を持つようになりました。彼女の声、歌い方が好きでした。それに、自由に動けないぼくには、聖子さんの歌を聴くことで、舞台になっている南の島やマンハッタン、花咲く高原に行けるように感じました。
自分でピアノを弾いたりして、クラシック音楽が好きになっていきました。高校生になり、養護学校の音楽の先生に「音大に行きたい」と相談すると、先生は「あんたは声が大きいから、声楽科がいいかもしれない」と言ってくれました。
厳しいレッスンが始まり、地元のコンクールで銀賞をもらいました。これが自信となって、受験勉強に力を入れるのですが、「体が弱いのに、夢みたいなこと言って」としかる先生もいました。技術を身につけるとか、地元大学から市役所の福祉担当へ、というのが、養護学校の子供にとっての「すてきな仕事」と考えていたんでしょうね。
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東京の音大に合格。これで自由だ。もう「あの子は骨が弱いとよ」とささやかれることもない。ですから、親友にも過去を話さず、封印して決意をしました。
ハンディを告白すれば早く注目されたでしょうが、そういうやり方には「美」を感じませんでした。骨さえ折れなければ同情される立場じゃない。「技術を評価されたい」「美しく、かわいい自分を追い求めたい」と夢想していました。しかし、皮肉にも、そんな自分に耐えられなくなったのは、「もののけ姫」がヒットして、多忙になったころでした。
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【プロフィル】米良美一
めら・よしかず 昭和46年、宮崎県生まれ。洗足学園音楽大卒。平成6年にデビュー。オランダのアムステルダム・スヴェーリンク音楽院への留学を経て、裏声で高音域を歌う「カウンター・テナー」として、クラシック界での地位を確立。9年、映画「もののけ姫」の主題歌でヒットを得る。今年7月、封印していた生い立ちを明らかにした「天使の声 生きながら生まれ変わる」(大和書房)を出版。
(2007/09/06)