産経新聞社

ゆうゆうLife

画家、大野勝彦さん(63)(上)


 ■農作業中に両手失う いらだち母にぶつけ 希望の言葉腕で書く

 18年前、農作業中に突然の事故で両腕を失った大野勝彦さん(63)は、失意の中で、絵を描くようになりました。義手で筆をはさんで描くのは、ときに力強く、ときに淡いタッチの鮮やかな水彩画。心に浮かぶ思いを素直に表現した詩が添えられた独特の作風が、静かなブームを呼んでいます。「両腕を失って自分は変わった」という大野さんに、事故と絵から何を得たかを聞きました。(中川真)

 私は熊本県の阿蘇のふもとで、野菜農家を営んでいました。子供のころは、地域にいた家庭医にあこがれ、医者になりたいと思った時期もありましたが、跡取りなので、農業高校に進学。農家を継ぎました。

 若いころは、体を使うことが大好きで、地域の婦人会のバレーボールの監督や、駅伝の指導員もしていました。もちろん、懸命に働き、ハウス園芸で6人の家族を支えてきました。「鉄人28号」というあだ名もあったくらいです。

 そんな私を突然に襲ったのが、18年前、45歳のときに起こった事故でした。

 平成元年7月22日、私はその日、ニンジンの植え付けの準備で、肥料の散布機を使って畑に石灰をまきました。作業後、肥料の散布機を洗っていて、機械の底の心棒についていたゴミを取ろうとしたときでした。

 ゆっくり回っていた機械に、「あっ」という間もなく、右手が巻き込まれてしまいました。そのときの激しい痛みは、容易に表現できませんが、「目の玉が飛び出る」っていえばいいんでしょうか。骨が砕ける音が聞こえ、激痛が全身に走りました。

 右手がペチャンコになって機械の反対側から出てくる。何とかして取らなきゃと思い、必死に追いました。ところが、その左手も、一緒に巻き込まれてしまったんです。

 叫び声を聞き、家から母親が飛んできました。しかし、母は肥料の散布機の操作を知らないので、パニックで何もできません。私は足でスイッチをオフにするのが精いっぱいでした。

                   ◇

 事故後、真っ先に私を救ってくれたのは家族でした。まず父が、両腕をタオルでしっかりと縛ってくれました。それでも血がどんどん流れてきます。

 意識も徐々に薄れていきます。そのとき、私を勇気づけてくれたのが、中学3年生だった長男でした。

 「お父さん、座って。手を挙げて」

 長男はもがき苦しむ私を椅子(いす)に座らせ、鮮血が流れ出す両腕を抱えながら、高くかかげてくれました。3人いる子供の中で、一番おとなしかったのに、何てしっかり成長したんだろうと、驚きました。

 その後、辛(つら)いこと、苦しいことに直面すると思い出すのが、「お父さん頑張って」という、あのときの長男の言葉です。

 2時間以上かかって病院に搬送され、6時間の手術。目が覚めたとき、メーカーの人が肥料の散布機から引っ張り出してくれた両手は、すでに火葬されたと知りました。

 こうなると、看護師さんや家族なしでは何もできません。何でも自分でやってきて、人に物を頼むことなんて慣れていないのに…。

 自分が弱っていくのを痛感しました。夜中、真っ暗な病室で重苦しい気持ちに襲われました。「もう、生きていても何もできない」

 いらだちや不安に耐えられず、付き添ってくれていた母に、つい、言ってしまいました。

 「すぐスイッチを止めてくれとったら、おれは手ば、なくさんでもよかったかもしれん」

 母は「わーっ」と泣き出し、病室を飛び出していきました。いまでも後悔している一言です。

                   ◇

 筆をとるきっかけを与えてくれたのは、妹でした。「もう字は書けないかもしれん」。落ち込む私に、「おにいちゃん、腕でも書けるよ」と妹は言い切りました。そして、自分の腕にペンをくくりつけて、字を書いてみせてくれました。

 「書きたい。書いてみたい」

 事故3日後。看護師さんに「ずれて痛い」とうそをつき、ギプスを外してもらい、妹とこっそり、右腕に巻かれた包帯のすき間に、ペンを差し込みました。痛みと緊張を感じながら、ゆっくり書いていきました。

 「ごしんぱいを おかけしました 両手先 ありませんが まだまだ これくらいのことでは 負けません。私には しなければならないことが たくさんありますし 多くの人が 私を まだまだ必要としているからです がんばります 勝彦」

 2時間かけて書いたのは、やっと芽生えた生きる希望の言葉でした。

                   ◇

【プロフィル】大野勝彦

 おおの・かつひこ 昭和19年、熊本県生まれ。平成元年に農作業中の事故で両手を失う。腕にペンをくくりつけ、詩や絵をかき続ける。15年に「風の丘 阿蘇 大野勝彦美術館」を開館。大分、北海道でも美術館を開く。6月に手記『よし、かかってこい!』、7月には詩画集『はい、わかりました。』(いずれもサンマーク出版)を出した。

(2007/10/04)