産経新聞社

ゆうゆうLife

元プロ野球選手 盛田幸妃さん(37)(上)


 ■原因不明のけいれん/MRIで髄膜腫発見/早世した弟頭よぎり

 切れのいいシュートで強打者たちを手玉に取った元プロ野球選手の盛田幸妃さん(37)。右足に激しいけいれんが走ったのは平成10年、28歳のとき。新天地、大阪近鉄バファローズへ移籍した直後のことでした。その2カ月後、脳にゴルフボール大の腫瘍(しゅよう)が見つかりました。早世した弟が頭をよぎり、「何でおれも…」と運命を恨んだといいます。(横内孝)

 最初の異変は右足首のけいれんでした。横浜の実家で夜、休もうとしていた矢先のことです。その時は自分が病に冒されているとは思いも寄らず、疲れているんだろうな、ぐらいにしか考えていませんでした。10年6月のことです。

 ドラフト1位で入団した大洋ホエールズ(現横浜ベイスターズ)から、トレードで大阪近鉄バファローズへ移籍。中継ぎとして活躍し、開幕から5連勝、チームも上位争いをしている時期でした。

 違和感は少し前からあったんです。なんとなく、右足、全体の力が弱くなっていく。スリッパが無意識のうちに落ちてしまったり、スパイクがうまく履けなくなったり。

 初めのころは足首の力がなくなる感じでしたが、それがひざ、右足全体に回っていきました。ひざの力が落ち、ぐらぐらする感じを覚えたので、靱帯(じんたい)が伸びたか、切れたんじゃないか。そんな風に考えました。ちょうど、人工靱帯(じんたい)を入れて5、6年がたったころだったし。

 でも、検査では、異常はない。足首とひざをテーピングして、6月はだましだまし、投げていました。けいれんもしばらくはなかったし、スピードも落ちていなかった。

 7月に入ると、けいれんがひんぱんに起きるようになりました。1日に1回だったり、2回だったり。ランニングの途中に起きることもあり、いつ来るともしれない。

 思うような投球ができなくなり、試合でも打たれ始め、1、2試合投げただけでした。

 右足はもう、ほとんど使えない状況で、普通に歩くことができなくなっていました。でも、説明しようにも、原因が分からない。だから、周りには黙っていました。今でこそ、理学療法士が各球団にいますが、当時はマッサージを専門とするトレーナーがいるだけでした。

 何より、調子がよかったから、もったいないという気持ちがあった。「隠していた」という表現が正しいかも。それに、移籍した直後でもあり、言えなかったというのも正直なところですね。

                   ◇

 8月、ロッテ戦で中継ぎとして登板したんですが、いきなりマウンド上でけいれんが起きたんです。ボークをとられるんじゃないかと思うくらい震えて、足はまったく動かない。3人に投げたんですが、ストライクがひとつも入らない。四球3つを与えて、満塁で交代しました。もう無理だな、と思い、そこから病院へ行きました。

 最初の病院で、「(原因は)脳か、脊髄(せきずい)しかない」と言われ、別の病院へ。MRI(磁気共鳴画像装置)の検査で髄膜腫が見つかりました。ショックというよりは、原因が分かってよかったというのが一番でした。最初のけいれんから2カ月余り、何でだろうという、得体(えたい)の知れない恐怖感との闘いでしたから。

 病気に対する知識はありませんでしたが、腫瘍(しゅよう)イコールがんというイメージはあったので、まず尋ねたのは「悪性ですか、良性ですか」。先生の「良性だと思いますよ。髄膜腫は(脳腫瘍(しゅよう)のなかでも)手術がしやすい」との言葉を聞いて、一安心でした。

 腫瘍をとってしまえば元通りになる。すぐに、マウンドに戻れるんじゃないか。そう思いました。

                   ◇

 病名がわかり、ホッとしたとはいえ、両親になんて言おうか、困りました。弟が5歳で小児がんで亡くなっているので、また、おれもかよ、そんな気持ちがありました。

 手術は単身赴任先の大阪ではなく、実家がある横浜でと思い、ベイスターズの指定病院の院長に相談しました。

 院長に「2週間ぐらいでどうにかなりますか」と尋ねたら、「そんな簡単なものじゃない。奥さんとまた来てください」といわれ、思ったよりずっと大変かなと一抹の不安がよぎりました。

 「右足にある程度、まひの後遺症が出るかもしれません。プロとして、マウンドに立てる可能性は30%あるか、ないか。最悪の場合、車椅子(いす)の生活も覚悟してください」。先生の話は確か、こんな感じでした。

 冗談だろ、脅かしてるんだろう。そのときはそんな受け止め方をしていましたね。

                   ◇

【プロフィル】盛田幸妃

 もりた・こうき 野球解説者。昭和44年、北海道生まれ。63年にドラフト1位で大洋ホエールズ(現・横浜ベイスターズ)に入団。平成4年、最優秀防御率のタイトルを獲得する。大阪近鉄バファローズに移籍した10年、脳腫瘍(髄膜腫)で手術。翌年のシーズン最終戦で392日ぶりに1軍復帰を飾る。13年6月、ダイエー戦に中継ぎで登板、術後初めて勝利投手となり、カムバック賞を受賞。14年10月、現役引退。通算成績47勝34敗29S。

(2007/10/11)