産経新聞社

ゆうゆうLife

ホスピス医・細井順さん(56)


 ■腎臓がんの手術後に患者さんに励まされ「知識より経験」痛感

 滋賀県のヴォーリズ記念病院に勤務しているホスピス医、細井順さん(56)は3年前、自身が腎臓がんの手術を受けました。細井さんは、がん患者としての体験を、医師と患者との関係を見つめ直す機会になったと話します。避けられない死の前で、患者さんが「今日はよかった」と思う積み重ねが、明日への希望につながると話します。(佐久間修志)

 平成16年の2月、スキーから帰って、血尿が続き、CT(コンピューター断層撮影)検査をしたところ、右腎臓に大きな腫瘍(しゅよう)が見つかりました。「あと5年は生きられない」と思いました。

 がんと共生するのも生き方ですから、あまり慌てませんでした。脳卒中で倒れて動けなくなるより、どういう経過をたどるか、私が熟知しているがんの方が、「人生の最終章が書けそうだ」と思ったくらいです。

 しかし、手術は無事に終わり、今のところ、再発もありません。入院、手術の体験は、多くの「気づき」をもたらしました。

                  ◆◇◆

 まず、医療を提供する側と受ける側との距離。私もかつては外科医として、患者さんの気持ちに寄り添っているつもりでした。でも、患者として実際に病棟に現れる看護師や医師に接すると、距離を感じました。

 例えば、回診の時間。医療者は「自分が診ている」から、自分中心に考えます。朝から晩まで患者を診るのが務めだし、朝早く行っても、夜遅く顔を出してもいいという思いがありました。

 でも、患者さんも自分の時間がほしい。食事の時間や朝早くには、来てほしくないんです。朝食を取って歯を磨いて、さあいいですよという時間帯がいい。私自身は午前9時か10時くらいが一番良かったです。

 それに、手術があんなに痛いとは思わなかった。今は痛くないと聞きますが、やっぱり痛い。それなのに、かつては「手術後はなるべく歩いた方がいい」などと、患者さんに話していました。心の中で過去の患者さんに謝りました。

 うれしかったのは、手術後20日程度でホスピス医として復帰したら、患者さんが待っていてくれていたこと。「お帰り」と言われました。しかも、がん患者の先輩としてアドバイスしてくれる。患部に痛みがあると「再発か」と不安になるものですが、「先生、痛むのはよくあることですよ」とか。向こうが医師みたいです。

 私には、医師としての知識はありますが、経験者の言葉は、知識よりも重い。経験者に言われると、本当に「ああ大丈夫なんだな」と思えましたね。

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 ホスピス医として日々感じるのは、死は順番に来るということ。がんだから死ぬのではなくて、人間だから死んでいくのです。

 外科医だったときは、患者さんを生かそうとしました。死は敗北に思えました。患者さんも生きたいし、私たちも生かそうと思う。でも、患者さんは死んでしまう。外科医だったときは、死は苦い経験だったり、貴重な教訓だったりしました。

 けれど、ホスピスでは、死は厳然と存在します。人間は死ぬ。それも、思わぬ時に。そのくらい、死というのは予測できない。がんだから死ぬのではないのです。

 死は避けたくても避けられない。それに気づいたとき、自分の生をどう意味のあるものにするかを考えます。ある研究者は「ホスピスとはあと一日のいのちを与えることはしないが、その一日にいのちを与えるところ」と記しています。人間は「今日はよかった」と思うと明日に希望を持てます。

 外科医は「がん」という重荷が100キロあったら、それを削って重さを減らします。ホスピスは100キロは減らさないが、手を差し伸べて一緒に重荷を担ぐのです。

 だから、ホスピスでは頑張らなくていい。社会生活では、自分のことをできない人は非難されます。でも、ホスピスでは、足りないところはスタッフが補ってくれる。だから、できない自分を認めることができます。そして、人間にとって究極の無力である「死」を受け入れられるのだと思います。

 今後は、在宅患者さんの緩和ケアに力を入れます。できるだけ長く、家で過ごしたい人は多い。週に何回かホスピスにケアに来てもらえれば、長く家にいられます。

 ホスピスにはまだ「死にに行くところ」というイメージが強い。そうなると、敷居が高くなる。でも、元気になるため、ホスピスにケアに行こうと思ってもらえれば…。

 今は死が地域で隠されています。でも、ホスピスが在宅患者にケアを提供し、地域にとけ込んでいけば、死が見えるものになる。「悔いのない生」を考える場所として、地域に開かれた存在にしていきたいですね。

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【プロフィル】細井順

 ほそい・じゅん 昭和26年生まれ。大阪医科大を卒業し、外科医となったが、平成7年に父親をホスピスで看取(みと)ってホスピス医に転身。14年からはヴォーリズ記念病院に勤務し、ホスピス建設を推進。現在、同病院ホスピス長。

(2007/11/02)