産経新聞社

ゆうゆうLife

タレント・大橋巨泉さん(73)(上)


 ■網膜剥離で検診生活 数年後に緑内障発見 「万事塞翁が馬」痛感

 メガネがトレードマークで、1960〜80年代に数々の人気番組の名司会者として、お茶の間の人気をさらった大橋巨泉さん(73)。セミリタイアし、カナダなどで悠々自適の生活を送っていた大橋さんの左目を、網膜剥離(はくり)、緑内障が相次いで襲いました。「目は最大の弱点」と話す大橋さん。当時のことを「人間万事塞翁が馬」と表現します。(横内孝)

 パットには絶対の自信があったのですが、ある時からパットが入らなくなったんです。奇妙なことに、決まってカップの右に外す。95、96年のことだと思います。これが異変の始まりでした。

 ぼくは90年にセミリタイアをしました。せっかく仕事まで辞めて、好きなゴルフに専念しだしたのに、なんでこんなにパットを外すんだろう。そんなとき、「片目ずつ見てごらんよ」とゴルフ場で友達に言われて、ピンを見たんです。右目でみたら、普通にまっすぐ見える。左目でみたら、ピンの真ん中あたりがCの字型にゆがんで映ったんです。それでびっくりして。何度見ても、左目ではそう見える。他のものでも試してみましたが、縦のものはみんな、真ん中がえぐれて見えた。

 主治医の奥さんが眼科医だったので、調べてもらったんです。そしたら、「大橋さん、左目の網膜に異常がある」と。

 先生はさっそく、網膜の権威とされる眼科医を紹介してくれました。

 すぐに飛んでいって、精密検査を受けると、「左目の網膜剥離(はくり)です」と診断されました。

 網膜剥離と聞いて、ボクサーなどの病気が浮かんだのですが、それは外傷性網膜剥離といって比較的治りやすいんですって。ぼくの場合は強度近視が長く続き、しかも、年を取ってきたので、加齢性網膜剥離といって、なかなか治らないと言うんです。

 「網膜剥離の手術は大変。多少ゆがんでいても見えるんだから、しばらく様子をみましょう」というアドバイスに従って、それから毎年2回、春と秋、日本へ帰ってくると主治医のところへ通いました。

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 3、4年後の9月。「大変だ。すぐにこのデータを持って先生の所に行ってください」

 眼圧を検査した看護師がただならぬ雰囲気でそう言うんです。左の眼圧が40まで上がっていたそうなんです。眼圧は10から20の間が正常ですから、相当上がっていたわけです。 

 とにかく、「目薬を処方するので、それを差して」と。主治医は別の病院の緑内障の専門医を紹介してくれました。

 翌日、さっそく八王子の病院に医師を訪ねました。そこで精密検査を延々とやられて。入念な検査で事の重大さに気付かされ、「先生、緑内障ですか」と、聞いたら、「ほぼ間違いない」とのことでした。

 もう、目の前が真っ暗になりました。白内障は治るようになったけれど、緑内障は治らないと知っていましたから。子供時代から強度の近視でしたから、やっぱり、目はおれの弱点だなと思ってね。「先生、治らないんですよね」って聞いたら、「はい、治りません」って冷たく言われちゃうし…。

 それで、「とにかく眼圧を下げましょう」ということで、以来8年間、3種類の点眼薬を欠かさず差しています。

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 ぼくは小学校4年生のときからメガネをかけています。ずっと近視でしたから、目はすごく大事にしてきたつもりでした。ずいぶん眼科にもかかりましたが、さすがに網膜剥離までは分からなかった。まあ、ゴルフをやっていたから、分かったようなものです。

 緑内障にしても、自覚症状があったわけではありません。でも、後から思えば、思い当たる節がある。家内が「あなたは片頭痛だと言って、家にある頭痛薬をよく飲んでいた」と言うんです。

 眼圧が40と診断される2、3カ月前のことです。何でおれ最近こんなに、とは思ったけど、頭痛は週1、2回で、毎日ではなかった。飲み過ぎたかな、とか、疲れかな、とそのときはそう思って、薬をのんでごまかしてました。

 実はぼくの義兄は緑内障で右目を失明しているんです。以前、義兄に、自覚症状が何かあったんじゃないと聞いたことがあるんです。そうしたら、「そういえばすごい頭痛がしていた」というんです。

 ぼくの場合、早期発見といえるかは別として、網膜剥離で毎年、2回眼科に定期検診に通っていたので、緑内障が見つかりました。もし、網膜剥離を患っていなかったら、それこそ、左目が失明するまで気付かなかったかもしれない。「人間万事塞翁が馬」という格言がありますが、まさにそんな思いです。

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【プロフィル】大橋巨泉

 おおはし・きょせん 本名、大橋克巳(おおはし・かつみ)。昭和9年3月、東京都生まれ。早稲田大学政治経済学部新聞学科中退。元参院議員。ジャズ評論家、放送作家を経て、テレビ司会者に転身。「11PM」「クイズダービー」「世界まるごとHOWマッチ」などの人気番組を担当。セミリタイア後は、1年の大半を海外で過ごす。著作に『どうせ生きるなら』(角川書店)など。

(2007/11/07)