産経新聞社

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東大野球部投手・加藤善之さん(21)(上)


 ■先天性障害にくじけず 義足で立った神宮球場 周囲の理解あっての今

 10月21日、東大野球部の加藤善之投手が、六大学のリーグ戦にデビューしました。加藤投手は先天性障害で、左手指は2本しかなく、左足も甲までしかありません。高校時代は軟式野球の全国大会に、エースとして出場した加藤投手。華々しい奮闘ぶりですが、「周囲の理解が不可欠だった」といいます。(北村理)

 リーグ戦デビューの日、神宮球場のグリーンの鮮やかなグラウンドを、投球練習場から見たときは、ちょっと緊張しました。夢に見たマウンドで投げられるんだなと思うとね。

 一浪してまで東大に入ったのは、六大学という、いわば学生野球の最高峰の大舞台で投げ、どこまで自分の力が通用するかを知りたかったんです。なぜ、そこまで野球にこだわるのかというと、物心ついてから、自分が自信の持てることといえば、野球だったからです。

 父子で巨人ファンで、小さいころから、父にはキャッチボールの相手をしてもらってました。

 小学校2年のときに、父親と少年野球を見に行って、「やりたい」といったら、父親が監督に話してくれて。そのとき、父親は「障害があるんだけど」と監督に言ったらしいんです。

 そしたら、その監督は「障害があっても、体力に応じた野球ができればいい」と入団を認めてくれた。その言葉がなかったら、今の僕はなかったかもしれません。

 野球を始めてからは、体格が大きかったこともあって、グラウンドでは人一倍プレーができたので、障害をもっていることにコンプレックスも抱かずに、今までこられたような気がします。

 僕は、右投げ左打ちです。グラブをはめる左手は、親指と小指しかありません。ですから、投球が終わると、左手のグラブを右手に持ち替えて、打球を捕球し、再び、グラブを左手に持ち替えて、右手で野手に投球します。

 打つときは、利き腕が右手になるので、左打席で打ちます。高校までは軟式だったので、ボールをたたきつければ、ヒットになりました。

 小学校のころは、打撃は苦手だったので、守備で認められようと、守備の練習はよくしました。

 守備で自信がつくと、打撃も次第に向上するようになり、高校では4番を打たせてもらいました。そうやって、ひとつひとつステップを上っていったような気がします。

 こうしたプレーは、他の人から見れば、大変に見えるようですが、僕自身は、そうすることが僕のプレーだと思ってきたので、特段、苦痛に感じたことはありません。

 野球のグラウンドに立てば、みんな条件は同じですから、その条件の中で、自分の生み出せる力をどう使うかを考えてきました。

 グラブで取れなければ、素手で取るだけです。それは、障害を持たない選手でも、そうするでしょう。現在、使用しているグラブも先輩からいただいた誰もが使っているグラブです。

 ですから、なにも特別なことはせず、自分にあったやりかたを工夫してきただけです。

 ただ、義足については違いました。これだけは、自分の努力ではどうにもなりません。専門家の助けがいりました。

 高校に入ってしばらくして、両親が、障害者の父母の会に参加している方から、「スポーツ用の義足があるよ」と教えられてきました。

 それまでは、スポンジと皮革材などを材料にした義足を使用していました。これでも、日常生活には特に支障はなかったのですが、今から思えば、スポーツをするには柔軟性が欠けていたような気がします。

 そこで、埼玉県にある国立身体障害者リハビリテーションセンターを紹介してもらい、強度と柔軟性の強い、スポーツ用の義足を初めて作ってもらいました。素材は、釣りざおやゴルフクラブでよく使用されているカーボン繊維を素材にした強化プラスチックです。

 それでも、きちんと自分の足に適合させ、野球選手としての運動量や衝撃に耐えられるような義足にしてもらうには、1年ぐらいかかったかと思います。

 そういえば、義足を3本ぐらい折った記憶があります。

 スポーツ義足なのですが、ぼくの運動量が激しかったのか、メーカーの設計基準通りでは、すぐに折れてしまう。そこで、よく折れていた接合部を、義肢装具士の方に工夫していただいて強化してもらい、ようやく自分の運動量に義足が追いつくようになりました。

 こうやって振り返れば、今、思う存分、野球をやれているのも、いろいろな方たちが支えてくれたからなのだなあ、と改めて思いますね。

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【プロフィル】加藤善之

 かとう・よしゆき 昭和61年、神奈川県横浜市生まれ。小学2年から野球をはじめ、栄光学園中学から投手、同高校2年時にエースで4番を打ち、全国高校軟式野球選手権に同校として初めて出場。1回戦で敗退したが、14回222球を投げ抜いた。東大に入学後、硬式野球部に入部。昨年春の新人戦で6大学デビュー。10月21日、リーグ戦初登板を果たす。

(2007/11/15)