産経新聞社

ゆうゆうLife

東大野球部投手・加藤善之さん(21)(下)

六大学リーグで、先発し、勝利するのが目標という加藤投手


 ■目標は先発での勝利 障害持つ子供たちの励ましとなる存在に

 東大野球部の加藤善之投手(21)は生まれつき、左手足に障害があります。野球をしてきたことについて、周囲の理解に支えられ、自分なりに精いっぱい努力し、ステップアップしてきたといいます。順風満帆に見える陰には、人と違うことへの悩みもあったはず。しかし、それを乗り越えてきたのは、やはり野球への自信だったようです。(北村理)

 六大学のリーグ戦デビュー試合では、立教大戦の最終回に登板し、打者3人をノーヒットに抑えました。

 自分の力を試したくて、自分で決めた進路で、やっと一歩を踏み出せたという気がしています。

 とりあえずここまでこれたのは、両親がのびのびやらせてくれているからだと思ってます。

 僕は、「手伝って」とこちらから言うまでは、手伝ってほしくないという性格ですが、その性格をよく理解してくれています。

 ただ、後で聞いた話ですが、義足をしているので、「激しいスポーツを続けていると体のバランスを崩して、体を痛めるのではないか」と、心配してくれた親族もいたようです。

 両親も心配してくれていたのでしょうが、そんなことは僕に一切、言わなかった。

 だから、マイペースで、迷いもなく、ひとつひとつ壁を乗り越えて来られたのだと思います。

 障害のことを気にせずこれまでやってこられたのは、友人や学校の先生が自然な付き合いをしてくれたからでもあります。

 もちろん、友人たちを見ていて、僕にはできないなと思ったこともあります。例えば、中・高校時代にバンドを組むのがはやっていて、かっこいいから僕もギターをひきたいなと思ったこともあります。でも、指の障害があるから、それはさすがに困難でした。

 運動でも鉄棒など、両手で体を支える運動はやはり難しい。

 ですので、障害のあることが、全く気にならなかったかといえば、それはうそになります。

 友人とけんかしたら、時には、障害のことをいわれたこともある。

 それでも、特に深く悩まなかったのは、僕には野球があったから。浪人も含めて、これまで野球にかけてきた生き方を、両親が黙って、見ていてくれたからなのです。

 小学校2年のときに少年野球に参加させてくれた監督の誘いからはじまり、障害への偏見を持たずに、いろいろな人が接してくれたことが、野球を続ける道を拓いてくれたのだと思います。

 ささいなことのようですが、そうしたことが、僕にはとても重要だったと思っています。

                   ◇

 今までは、とにかく力いっぱいやれば、結果を出せた。しかし、六大学野球に参加して、壁を感じることもあります。やはり、全国から、野球の経験者が集まってくる、伝統ある大学野球のリーグですから、レベルが違う。

 それは、東大の野球部のチームメートを見ていてもそう感じることがあります。ましてや、他の強豪チームの選手なら、なおさらです。

 でも、浪人してまで飛び込んだ世界ですから、先発で勝つという自分なりの目標を設けて、それを乗り越えるところまでやってみようと、今は思っています。

 とはいえ、学生の本分は学問ですからね。せめて、世間で問題になっていることは知っておきたいと、本を読んで悪戦苦闘しています。

 僕は、祖父が医者だったので、高校時代は医者になろうと思っていました。ですので、医師不足や医療の問題には関心をもっています。

 しかし、今は医学部にいるわけではないし、文系にも興味があるので、専門課程で、どこへ進むか、まだまだ悩んでいます。

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 以前、スポーツ義足のことを教えてくれた障害児の父母の会で、講演を頼まれたことがあります。そのときは、話すのが苦手だったので、お断りしました。でも、今、障害を持つ子供たちに何か言えるとしたら、こう言いたいと思います。

 「とにかくやりたいことをやろう。一生懸命、工夫してそれでもダメなら、次のことに挑戦しよう。先回りして、自分の限界を自分で設ける必要はない」

 僕は、元巨人の桑田真澄投手が好きです。彼は、プロの選手としては体は大きくない。でも、その体で、どうやったら最大限、力を発揮できるかを常に考えている。

 何度けがをしても、彼なりにできることをやってあきらめずに夢を追っている。

 僕も、後に続く子供たちの励みになるよう、頑張りたいと思います。

(2007/11/16)