産経新聞社

ゆうゆうLife

作家・山本文緒さん(45)(上)


 □鬱状態を3年間経験した作家・山本文緒さん

 ■自分を過大評価し不摂生で心身病む 「休めば必ず治る」

 等身大の女性の恋愛を描き、吉川英治文学新人賞や直木賞などの受賞歴を持つ作家の山本文緒さん(45)は平成15年からの3年間、鬱(うつ)状態で入退院を繰り返しました。精神的に苦しんだ3年間を、山本さんは「1人では生きていくことができない状態だった」と振り返りながら、同じ悩みを持つ人に、「怖いけれど思い切って休んでみて。休めば治る」とエールを送ります。(佐久間修志)

 13年に直木賞をいただき、14年に再婚。それから徐々に体調を崩していきました。

 抗鬱剤を初めて、医師に処方されて。今はいい薬があって、よくなると思っていたのですが、あまりよくならず、どんどん悪くなりまして。ぴたりと小説が書けなくなってしまいました。

 実は9年から、心療内科には通っていたんです。人間関係のトラブルをきっかけに、軽いパニックになり、カウンセリングセンターで何度かカウンセリングを受けました。不眠などの症状も出ていたので、心療内科に通って症状を抑えるのがいいのではと、心療内科に通うようになりました。

 それでも、そのときは日常生活に支障があるほど悪くはなかった。それが、14年の秋から、気持ちが落ち込んだり、持ち直したりを繰り返し、15年2月には日常生活の些細(ささい)なことが全くできなくなりました。3月に最初の入院。雑誌の連載は休載となり、関係者には本当に迷惑をおかけしました。

 きつかったのは不眠です。夜眠れないということは、朝も起きられない。自分がいつ寝られていつ起きられるのか、分からない。自分の食事を作ることもできない。買い物も外出もできない。1人で生きていくことができない状態でした。

                   ◇

 何でこんなことになってしまったのか。

 私の場合は、不摂生が大きかったと思います。最初は仕事や再婚のストレスなど、心因性のものだと思っていましたが、今思えば、悪い体が悪い心を生んだようです。

 とにかく不摂生でした。OL時代からお酒を浴びるように飲んでいました。それでも、作家になって、しばらくは常識の範囲内で、食事も自分で作っていましたが、11年に吉川英治文学新人賞をいただいてからは、自分でご飯を炊かなくなりました。外食すればお酒を飲みますし、食事もカロリーが高くて脂っぽいものばかり。

 それに重なって、仕事では自分で自分を追いつめていた部分がありました。でも、仕事が悪かったのではなく、自分が気負いすぎていました。大きな賞をいただき、出版社から受ける期待もひしひしと感じて、「ここが頑張りどころだ」と言われたこともありました。自分でも乗り越えられると思ってました。

 自分の実力を過大評価していたんですね。ずっとマイペースでやってきたので、賞をいただいた後もマイペースでやればよかったのですけれども、必要以上に自分を大きく見せようとしてしまったのでしょう。

 今はずいぶん体調がよくなりました。とりあえず、久しぶりに小説を書くことができるようになりましたから。長編じゃなくて中編ですが。久しぶりに会った人からも「元気になった」といわれるので、よくなったんだと思います。

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 よくなったのは、とてもよく休んだから。3回の入院を経て、最終的には、東京を離れて横浜の実家に行きました。そのとき、本当にずっと休むことができました。両親はそれをとがめないでいてくれました。

 この年で親に甘えることになって恥ずかしいのですが、3食作ってもらい、寝ているところを起こしてもらいながら、薬を日に4回飲ませてもらいました。それを何カ月か続けたのが効きましたね。働いている夫はよくしてくれましたが、薬の管理までは難しいですから。

 鬱で悩んでいる方に対しては、経験上、やはり休むことを勧めます。

 私も最初は「休むことは怖いこと」と思っていました。社会から見放されるのでは、という恐怖が大きくて。でも、休まなければ治らないが、休めば必ず治る。休むことが社会復帰の近道です。私は2回目の入院中、病室にパソコンを持ち込みましたが、あれは悪くする方の近道でしたね。

 そして早寝早起き、3食食べる。ありふれた、平べったいことのように思えますが、結局、そういう生活を続けることで、ストレスを自分の中から抜いていくしかないんです。ストレスでまいっていると、それすら、できない。よく休んだら、体を動かしてみるのもいいと思いますね。

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【プロフィル】山本文緒

 やまもと・ふみお 昭和37年、横浜市生まれ。神奈川大学卒業後、OLを経て昭和62年に少女小説「プレミアム・プールの日々」がコバルト・ノベル大賞で佳作に選ばれ作家デビュー。平成4年からは文芸作家に転向。テレビドラマにもなった長編小説「恋愛中毒」が11年に吉川英治文学新人賞、13年には短編集「プラナリア」で直木賞を受賞した。

(2007/11/22)