産経新聞社

ゆうゆうLife

厚労副大臣・西川京子さん(62)


 □主婦から転身した 厚労副大臣・西川京子さん(62)

 ■看取りと出産重なる/地域が育児の救いに/母親支援で報いたい

 厚生労働省の副大臣、西川京子さんは長男出産の際、長女の育児、父親の闘病と看取(みと)りが重なりました。そのときの苦労が、その後の育児にも影響したといいます。しかし、出産や育児、介護に苦労する女性は少なくありません。こうした女性を支援したいという西川さんは「女性を孤立させず、地域で支援することが重要」といいます。(北村理)

 私は平成12年に衆院議員になるまで、専業主婦をしていました。出産、育児、父母の見送り、生まれ育った東京の青梅市を遠く離れた熊本での結婚生活。30年間の主婦業が、私を成長させてくれたと思っています。

 23歳で結婚し、2年目に里帰り出産をしました。初めての出産でしたが、母が「自然に生まれるから。誰でもしていることだから」といってくれたので、不安を感じずに済みました。

 私が出産した昭和40年代は、病院出産が流行でしたが、母の時代は助産師さんの介助による自宅出産。出産は日常風景のひとつだったのでしょうね。今の若い人は母親世代も病院出産だから、出産は特別な体験という意識があり、不安感が強いのではないでしょうか。

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 私は兄が3人いて、末の女の子。ですから、長女を里帰り出産したときは“凱旋(がいせん)状態”で。そのときには父の病気の話なんてなかったのですが、翌年、長男を里帰り出産したときは、父のがんによる闘病、死の時期と重なったのです。

 当時は兄夫婦が両親と同居していたので、入院中の父を、母、兄夫婦と私が交代で看病しました。私は臨月のときも、毎日通院して、1時間ほど父と話して帰ってくるという感じでした。実家が大変な時だっただけに、私も里帰り出産で気を使いました。

 父は私の出産を楽しみにしていましたが、結局、間に合いませんでした。父の死後1週間で出産。「父の生まれ変わり」などと言われました。

 私は心身ともに出産前の負担が大きく、あまり食事もとれなかったせいか、長男は体重2000グラム超。1週間ほど保育器とミルクで育ちました。ですから、母乳も出にくくなりますし、長女の時ほど、母乳育児が徹底できませんでしたね。

 今から思えば、子育て時にも長女より手をかけなかったかなという反省はあります。娘には、生まれたころの思い出話をよくしましたが、息子にはあまりしなかった。そんなに厳しくしつけたわけではないのですが、長男は素直でなくて。かっとなる傾向もあって、けっこう悩みましたね。長男は夫との関係がうまくいかなくなったり、学校でよく怒られて帰ってきたりしていました。

 育児や見知らぬ土地での生活にずいぶん、戸惑いましたが、子供が幼稚園に入園すると、PTA交流が始まり、地域では婦人会活動で生活の知恵を共有しました。人の輪が広がると、地域への関心も強くなる。私は地域社会で育てられました。ですから、私も母親たちを支援する役割を果たしたいのです。

 地域社会の基礎となる家庭で女性たちが演出してきた気持ちが和む空間。それが核家族化で崩れ、競争原理にのみ込まれ、世の中がギスギスする。それが今の日本の一面だと思います。

 私自身、息子の将来に理想像を描き、その枠から外れがちな彼に不満を感じることが多かった。ところが、ある時、私の意識を変える出来事がありました。そのきっかけとなったのも母でした。

 息子が大学入試に失敗して、予備校に通っていたときでした。母を連れて初詣でに行ったら、混雑していて、神社から遠くに駐車せざるを得ませんでした。

 足が悪く、着物を着ていた母が「車で待っている」と言ったのです。「そうしてもらおうかしら」と言いかけた私をさえぎるように、祖母を大好きだった息子は「せっかくだから」と、母を背負って歩きました。帰りは息子と競うように、夫がおぶっていました。

 親として、息子の成長を見逃していた不明を恥じました。以後、人生の選択は彼に任せました。彼は予備校をやめて就職し、営業マンになりました。今は熊本で私の秘書をしています。

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 健全な社会には「父性」だけでなく、「母性」が必要です。私たち親子にとっては、母にみる「寛容の精神」とでもいったものでした。

 今は、母性をはぐくんできた出産や育児の環境が問題となっています。産科医や助産所の不足など、産む場所がないこと。また、女性の社会進出にともなう育児支援は試行錯誤が続いています。女性が母性を発揮できる環境が、出産や育児、仕事の場で保証されるよう、力を尽くしたいと思っています。

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【プロフィル】西川京子

 にしかわ・きょうこ 昭和20年、東京都生まれ。早稲田大学教育学部を卒業し、1年後に結婚。夫の郷里、熊本に移住。平成12年に自民党九州ブロック比例代表として衆院選挙に初当選。15年再選、17年福岡10区で当選。昨年から、厚生労働省副大臣。

(2008/02/01)