産経新聞社

ゆうゆうLife

映画エッセイスト、永千絵さん(48)(上)

映画エッセイスト・永千絵さん


 □父・六輔さんと母を看取った

 ■最愛の母が胃がんに/在宅療養で家族団結/最後まで寄り添えた

 映画エッセイストの永千絵さん(48)は6年前、母親の昌子さんを胃がんのため、68歳でなくしました。最後の2カ月あまりは、父親で作家の六輔さん、妹の麻理さんらと在宅療養で母親を看取りました。「永家の幸福のシンボルを失う喪失感」(千絵さん)を乗り越えた経験を聞きました。(北村理)

 母が亡くなって6年になりますが、私の謎は今もって、母がどれだけ自分の病気のことを知っていたのかということです。

 闘病中は、父が涙を浮かべて「言うな、言うな」というものですから、私も妹の麻理も、母に胃がんであるとは一切、言わなかったのです。

 ところが、母が亡くなった後、父があちこちで「彼女は知っていた」などと言い出したものですから、「一体どういうことなの」と、私と妹は一時期、父と険悪なムードになったくらいです。

 家族の間で母の病気に関する共通認識があれば、もっといろんなことをさせてあげられたのに、と思うからです。母が在宅療養をした2カ月半、一緒に外出することもありませんでしたし、結局、「さよなら」も言えなかったわけですから。

 後悔はいろいろありますが、在宅で看取れて良かったと思いますね。「もう、限界」というほど目いっぱい、母を看ることができましたから。

 特に、母のことを大好きで大好きでしかたがなかった父は、仕事を最小限にして、一日中、母にベッタリしていました。看病中は15キロほどやせてしまったくらいです。その後、元に戻りましたけど。

 母は、わが家の精神的支柱で、幸せのシンボルでした。その母が早晩いなくなるとはっきりしたときは、3人とも“極限状態”。パニックを起こした子羊の群れのようでした。

 そのうえ、私たち姉妹は告知にどう対処したらよいのか、迷ったまま在宅生活に入りました。わが家は私と父、妹と母が似た者同士。でも、告知の問題では、私たち姉妹は、大切な情報を共有していなかったのではないかというわだかまりが残りました。

 父は在宅生活が始まってから、ひたすら母のそばにいました。妹は泣きながらも、治療法探しに奔走。ちょっと冷静な気分になれた私は、看護師さんの処置の手伝いをするなど、家族の対応も三者三様でしたね。

 在宅で療養を始める際に、介護ベッドなども見に行ったのですが、母は「ソファがいい」と。結局、母は自宅での定位置だったソファで過ごしてました。

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 そもそも、父も母も病院が嫌いで、あまり検査にも行かないようなところがありました。だから、悪性の胃がんだと分かったときには手遅れだったんじゃないかと思うんです。

 母が腸閉塞(へいそく)を起こして、口から栄養を取れなくなり、病院で「あと2、3カ月ですよ」といわれたとき、3人とも「じゃあ家で」という思いはなんとなく持っていました。

 妹は実際に病院の母のベッドに寝てみたんだそうです。妹が「天井を見て、ここで最期を迎えさせるのはかわいそうだと思った」と言うのを聞いて、在宅療養を決めたところはありますね。そこは、妹が偉かったと思います。

 在宅でと決めた後は、相当バタバタしました。どんな制度があるとか考える暇もなくて、とにかく早く、母を連れ帰ろうと。

 訪問看護師さんと往診してくれるお医者さんは病院で紹介されました。最後の1週間ほどは酸素吸入器を借りましたが、あとは点滴バッグを保管する小さな冷蔵庫を買ったぐらい。「介護の人も」って話し始めたときに、母は亡くなりました。

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 「痛い」とか「苦しい」とか言うこともなく、本当に静かに亡くなりました。先生が数日前から「そろそろですね」と言うので、孫たちも含めて、家族全員が集まっているときでした。

 その日はもう、脈がほとんど取れなくなっていて。あらあらという間に、すっと息が止まった。その瞬間は、父と妹が母に覆いかぶさっていて。母は2人にとっては神様みたいなものですから、「神様が死ぬわけない」みたいな感じでした。

 私は最愛の人を亡くした父が、どうにかなるのではないかと心配でした。父は今も毎日、母への便りを書いて投函(とうかん)しているほどですから。

 でも、最後まで自宅で寄り添えたことが、その後を生きる気力になっているのかもしれませんね。

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【プロフィル】永千絵

 えい・ちえ 昭和34年、東京都生まれ。映画エッセイスト。成城大学文芸学部卒業。雑誌「スクリーン」などに連載。著書に『いつもの場所で−シネマ・エッセィ』(近代映画社)。六輔氏執筆『あの世の妻へのラブレター』(中央公論新社)などに、妹の麻理さん(フリーアナウンサー)と登場。

(2008/02/07)