産経新聞社

ゆうゆうLife

映画エッセイスト、永千絵さん(48)(下)

昌子さんが亡くなる前年の平成13年、石垣島へ旅行した永さん一家。六輔さん(中央)、昌子さん(右横)、千絵さん(後列左から2人目)、麻理さん(右端)ら


 □母を父・六輔さんと看取った

 ■情報共有や心配り… 医師と看護師さんが深めた家族のきずな

 母親の昌子さんを看取った映画エッセイストの永千絵さん(48)。父、六輔さんや妹、麻理さんらとの約2カ月にわたる看護は身心ともに厳しかったものの、充足感があったといいます。その陰には、在宅看取りにたけた訪問看護師さんらの巧みなサポートがありました。(北村理)

 自宅で看取ったのは、後から考えると、家族には良かったですが、その最中は厳しいものがあることも事実です。最愛の家族が死にゆくのをみているのはつらいことです。

 看取りにあたって、私たち家族が医師や看護師さんに言われたのは「看護の主役は家族です」ということでした。

 お医者さんも看護師さんも、家族がそれぞれ役割を持って母の看護にかかわれるよう、サポートしてくれました。おかげで、母の看取りがつらいだけでなく、ある種の充足感をもって振り返れるのだと思います。

 看護師さんは家族の性格や行動をよく見ています。私は看護師さんが注射針を扱う処置の手伝いなどをよくしたので、看護師さんの間では「注射好き」と申し送りがされていたようです。妹は「よく泣く」と。看護師さんたちのこうした分析は、彼女たちが家族にどう言葉をかけるか、どう役割分担をしてもらうかを考えるのに不可欠だったようです。

 父は、とにかくべったり母についていたので、看護師さんからあるとき、「お父さまのお仕事はどうしましょうか」と聞かれたことがありました。

 父はそのころ、母のために仕事を最小限にしていましたので、私が看護師さんがわが家の収入を心配してくださっているのかと思いました。ところが、ふだん家にいない父が、あまりべったりだと、母が変に思うということでした。母は自分の病状を知らないことになっていましたから。

 それでも、父は結局、「夫婦には夫婦の話がある」とばかりに、ずっと寄り添ってましたけれど。

                  ◆◇◆

 永家はこれまで、母中心に回っていましたので、父と私たち姉妹はあまり、会話をした記憶がありません。母が父より早く亡くなるなんて思ってもおらず、将来は母と姉妹3人でのんびり過ごそうと言っていたほどです。

 告知について、父と私たち姉妹に意識のずれはあったにせよ、母の看取りを乗り切れたことで、父と私たち、姉と妹の間で新しい家族のきずなができ、今に至っているという気がしています。

 看取りを支えてくれたのは医師と3人の看護師さんでした。看護師さんはそれぞれ、きちょうめんな人、明るい人、若い人。異なるキャラクターでしたが、3人とも私たち家族をよく理解してくれ、情報を共有してくれたので、こちらも安心して意思を伝えることができました。私たちも人がかわることで気分転換にもなりました。

 10月に在宅看護が始まり約2カ月。最後は24時間、目が離せなくなったので、さすがにみんな疲れがみえてきました。

 私も妹も子供が2人おりますので、幼稚園や仕事の合間をぬって子供を預かりあったりして、交代で母のもとに通ってました。父の負担が大きくなってきたころには、姉妹で夜も交互に泊まりに行きましたね。

 幼稚園が始まる冬休み明け。さすがに手が回らなくなり、いよいよ「ヘルパーさんを頼もうか」と話をしていたときに、母が亡くなりました。

                  ◆◇◆

 後になって妹と一致したのは、早めに人手を頼んでおけば良かったということ。また、男の子供ばかりで母親を看取る場合はどうしたらよいのかという疑問はあります。私なんてまさに、そうなんですが。

 下の世話までという状況になると、わが子でも男性だと抵抗がある。やはり普段から、うまく介護サービスを利用することも考えておかねばならないと思いました。

 母の看取りをバタバタと経験した私たちは、看護師さんらが来なくなって、「明日からどうしたらいいの」みたいな感じで呆然(ぼうぜん)となりました。看護の間は医師や看護師さんがほぼ毎日来て、精神的に支えてくださったものですから。

 家で看取るということは、非常に密度の濃い時間を多くの人が共有するわけです。連帯感、充足感がある一方、終わってしまったら、残された家族は一時的にせよ、心理的に行き場がなくなってしまう。

 ですから、残された家族のケアをする場があってもいいのかもしれませんね。病院で死ぬのが当たり前の世代の私たちは在宅看取りの経験を積み重ねていく必要があるかもしれません。わが家では母の看取りの経験を父にはどう生かそうかと、妹と話し合ってます。

(2008/02/08)