産経新聞社

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障害者の就職支援 工藤雅子さん(48)(上)


 ■透析治療を週に3回/活躍の場求めて就活/企業側の先入観痛感

 障害者雇用の環境整備をする身体障害者雇用促進研究所(サンクステンプ)のチャレンジド・サポート事業準備室長、工藤雅子さん(48)。自身も腎不全の障害を持ちながら転職を繰り返した経験があります。「障害者がきちんと働けることを理解してもらうのは簡単ではありません」と障害者雇用の難しさを語ります。(佐久間修志)

 私は慢性腎不全で、現在、私の腎臓は働いていません。週に3回、透析治療を受けています。仕事が終わった午後6時ごろから治療を4時間。帰宅は夜の11時半になります。

 腎臓の病気が分かったのは19歳のとき。風邪で高熱と血尿が出て、検査をしたら慢性腎炎になっていました。

 当時は公務員で、透析をしなくても、生活はできていました。でも、病院に通ううち、病院で知りたいことが聞けなかった経験などもあって、患者さんと医師の間に立つ仕事ができないかという思いがわきました。

 30歳になった平成2年に一念発起。公務員を辞め、患者さんと医師のコミュニケーションを円滑にする「医療ソーシャルワーカー」の勉強をするために渡米しました。この仕事は、すでにアメリカでは地位が確立していました。

 ところが、大学を修了し、大学院での専門課程が始まって半年というところで、ついに体調が悪化。腎不全で透析を受けなければならなくなりました。腎不全の治療費は月に50万円以上。でも、日本の公的保険なら、少ない自己負担で治療を受けられます。大学院の2年までは頑張ろうと思っていましたが、8年に帰国を余儀なくされました。

 帰国後、透析を導入するために1カ月入院。退院して役所に障害者手帳をもらいに行き、1級の障害者になりました。

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 退院後、勉強したことが仕事に生かせないかと、就職活動を始めました。まだソーシャルワーカーの職はなく、知人の紹介でアルコール中毒患者の家族を支援する団体のアルバイトをしながら、体調を見ていました。

 その後、医療情報を翻訳する仕事をしましたが、体調の関係で長くは続かず、障害者手帳を持って就職活動をしました。障害者として初めて就職したのは、外資系のIT系コンサルタント会社。人事部に配属になり、プロジェクトチームの立ち上げで人を配置する仕事をしました。

 実はここで初めて、現在の仕事にもつながる「マッチング」を経験しました。求職者に合った仕事を考える「マッチング」は単に仕事上の配置ではなく、メンタルなサポートを考慮するなどの点で、ソーシャルワーカーとして勉強したことを副次的に生かすこともできました。人材サービスっておもしろいと思ったのもこのときです。

 最終的には、この外資系企業も辞めることになりました。良い意味でも悪い意味でも成果主義の会社だったので、体力的には限界なのに、ついつい頑張ってしまうジレンマがあったからです。

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 サンクステンプとの出合いは14年。仕事を探しているときに、登録していたテンプスタッフを通じて「サンクステンプで仕事をしてみませんか」と声をかけられたんです。

 そこで障害者向けの人材紹介を事業として立ち上げたのは、当時の上司の提案がきっかけです。企業から求人の相談は受けていて、事業化できるのではという発想ですね。

 私が就職活動を通じて感じたのは、企業側に「障害者だから働けない」というイメージがあることです。障害者もきちんと働けることを理解してもらうのは大変でした。面接でも「大丈夫か」と聞かれましたね。

 ただ私自身は、就職について不安はありませんでした。人とふれあうのが好きで、組織に属していたかったので、活躍できる場を求めて転職しましたが、就職がだめなら、近所で英語を教えながら暮らそうと思っていました。

 障害が原因で就職活動に前向きになれない人の気持ちも分かります。私にもソーシャルワーカーになる夢をあきらめた経験がありましたから。

 それでも、就職か透析かを考えたとき、命にかかわるから、透析を選ぶしかない。生きているだけでめっけものです。昔はこうだったのに、とか、病気がなければとも思いますが、それは考えても仕方がないことではないかと思います。

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【プロフィル】工藤雅子

 くどう・まさこ 昭和34年生まれ。医療ソーシャルワーカーを目指して渡米中の平成8年、慢性腎炎から腎不全に。帰国後、外資系企業などを経て、14年に身体障害者雇用促進研究所(サンクステンプ)に入社。昨年11月には障害者の技能五輪といわれる「国際アビリンピック」で講演を行った。

(2008/02/28)